2018年04月15日

深夜の散歩DE雑感

 ハッキリ言って僕は飲兵衛だったのが、最近は火曜日に卓球のヘボコーチが終わってしか飲まなくなった。ところがたまにお酒(下町のナポレオン)を飲むことがり、昨日夕食時に飲んだ。家飲みすると信じられないぐらいアルコールに弱く、間違いなくすぐに寝てしまう。そして、変な時間に起きる。

 今日は午前2時に起きてしまった。

 急いでやることもないので、眠たくなるまでということで資料を読んだりしながら、ブログを読み修正を加えた。
 
 それから、
 染井吉野がクローン植物であることは、桜の遺伝資源や文化遺産とどう関連するのだろう?たぶんつづく...と結んだ。

 この課題は来年にしようと思っているが、キーワードは、自生種・野生種(一重桜)と栽培品種(一重桜<八重桜)と、同一個体(自身)の花粉で受粉しないシステムの自家不和合性。また、受粉してもなんらかの原因によって種子が生じない不稔性。桜は条件が揃うと不稔性ではないそうだ。ただし、その種子からできた桜は別の品種になるらしい。

 それから鑑賞花木の観点から捉えると、平安時代中期に万葉集に歌われた「いにしえの奈良の都の八重桜」。つまり、野生種では花弁が5枚の一重桜なので、野生の桜ではないことが分かり、様々な花の中で桜が歌われていることは鑑賞されていたことが推測できる。

 また、花咲爺の存在も気になっている。
 花咲爺は、日本の民話の一つで、「動物報恩」および「隣の爺型」の昔話に分類されるらしい。僕が面白がって想像することは、殺風景な道筋で桜の花を咲かせたところに、たまたま通りがかった大名が感動し、老爺をほめて褒美を与えたこと。つまり、山に自生していた桜が人里(園芸業者)で育成されるようになったことを書いたが、山と人里の中間である山里に住み桜を育てた人たちがいた。もしかしてそれって花咲爺と想像してみた。

 その結果、大名に感動を与えた桜は、江戸の寺社と武家庭園に植えられて、花見の時期になると庶民の立ち入りを許したこともあった。当時は山桜などの野生種だったらしいが、桜の栽培品種の数は江戸時代に多く増えた。

 これまで桜の研究は、人文科学系からの論述が中心だったが、遺伝子研究の発展により、遺伝子データという新たなツールを手に入れた自然科学によっての研究の時代が来た。
 難しいことは分からないが、ゲノム研究の進展で次世代育種の実用化が進み、江戸時代の染井吉野のような大ヒット品種を凌ぐような次世代の出現も夢物語ではないそうだ。

 
posted by トモ兄 at 13:01| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする