2018年07月12日

最近の朝の出来事

 昨日、目覚ましを7時にセットしていた。今朝は6時半に起きたが、遅く寝ても、最近は5時半に起きたりする。当然、毎日iPhoneの目覚ましをセットするが、5時半にはセットしない。

 なぜ疲れているのに朝早く目覚めるのかは、何となく気付いた。それは、様々な課題に対して寝ている間も考えているようで、漠然としているがそれらしき解答とその方法が出たときに、目覚めるようだ。ただし、明確な根拠はない。

 たとえば、「デジタルサイネージ入門講座」の最終課題でレポートをどんな風に書けばいいのか。簡単に考えると、課題に対して、最寄りの情報を要約をすればいい。それでは、自分自身の理解が深まらない。折角なので何か方法はないか。そこで思い出したのが、とある先生に教わった問題解決の方法の一つで、まずは、視座・視点・視野とうい観点で対象を捉え、基本定義のXYZの公式に当てはめてみる。そこで、広告物の制作者という私の視座で捉えると、必然的に視点・視野も出てくる。つまり、「デジタルサイネージ入門講座」の理解を深めるために、より身近なところで捉え、対象と距離間を詰めることによって、よりリッチなレポートが提出できると思う。

 また、『シッダルタ』についてだが、ここでもとある先生に教わったことを思い出した。本は様々な目的意識で読むことができる。ただし、テーマを決めて読むとより理解度が深まる。
 
 たとえば、以前に『奇跡のリンゴ』読者感想文を書いた。その時のテーマは、木村さんの口癖である「バカになればいい」に着目し焦点を当てて読んだ。この本を夫婦間の愛情物語として捉え読むこともできるが、そんな読み方はしなかった。結果的に、「バカになればいい」の先には、「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができる」という素晴らしい言葉に出合えた。

 さて、『シッダルタ』をどう読むか。すでに新潮文庫で読んでいて、あらすじは覚えている。『シッダルタ』は全てを捨て出家し、仏陀の布教活動を追ったが、結局は元の生活にもっどた。しかし、家に戻ることはなかった。それから、様々な人と出会い別れを経験する。また子ももうける。『シッダルタ』は出家して以来、家族と再会することがなかったが、この小説のラストシーンで、唯一幼少の頃の友人と出会う感動的なシーンが用意されている。ここで『シッダルタ』が日常生活で解脱していたことが分かる。

 しかし、この感動的なシーンよりも、川の渡し守りで働いていた時のシーンが最も印象的だった。お客を向こう岸に届け、ひとり戻るときの途中の出来事だ。『シッダルタ』は川面に映った我が姿を何気に眺めた。そこには懐かしい父の姿があった。そして、コミュニケーションが始まる。ここで、『シッダルタ』(と読者)は短い輪廻の世界があることを知ることになる。
 『シッダルタ』にとって最大の悩みは、行方が分からない帰ってこない息子のことだった。ここで描かれているシーンは、不意を突かれて心に痛みを感じる。つまり、『シッダルタ』は過去において、自分自身の両親に同様な行為を行ってしまった。どんなに寂しい思いをさせたことだろう。
 ここで、人生において誰もが経験する繰り返し(短い輪廻)があることを悟る。

 で、どう読みたいか。大袈裟に言うと、時空を超えた懐かしい友人と語るように読んでみたい。そして、最近知ったアドラー心理学の課題の分離の涼しい関係で接したい。そうすると、また違った感想があるかもしれない。
 当初の思っていた読み方とは若干変わった。

 そんな漠然とした問題解決の方法らしきもので、目が覚めた。

 今日、明日はいつものように印刷入稿がある。
 現状のクライアントはとても忙しそうだ。クライアントはすぐに大阪サミットがある。別のクライアントは、やはりすぐにビッグサイトで大がかりなイベントがある。だから、担当者はいつもの週よりもスケジュールが厳しい状況にある。クライアントがどれくらい忙しいか実際には分からないが、ここでも課題の分離で、僕の課題は、今の状況下でいつものように、時間を守り間違いない印刷入稿することだ。

 ということで、今から仕事に集中する。
 ファイト(^_^)/。○
posted by トモ兄 at 10:47| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする