いまは、坂崎乙郎氏を通して「シーレやクリムト」を感じている。実際に国立新美術館と東京都美術館で見ると、どんな風に感じがするのだろうか。
『エゴン・シーレ―二重の自画像 (平凡社ライブラリー)
1918年、グスタフ・クリムト死去。エゴン・シーレは、同年、妊娠中の妻エディをスペイン風邪により10月28日に亡くし、その3日後の10月31日(28歳)、シーレ自身もこの疫病の犠牲となった。
彼は息を引き取る前に、妻エディの姉アディーレに呟いた。
“戦争は終わった、そしてぼくも行かなければならない。僕の油絵は世界のあらゆる美術館にいつか飾るだろう。ぼくのデッサンは君や家族と別けてほしい。十年後には売れるだろう。”
そしてそれから100年後、僕はエゴン・シーレを見られる機会を得る。まさか本物を見られるとは。信じられないほどの幸運を感じる。
エゴン・シーレは、師クリムトとも離れ、孤立した彼の意識はひとり己を頼りに自意識の砦に立てこもる。ナルシスムは、シーレの本質を解く鍵に違いない。彼が早期に完成したものは、激越なナルシスムのゆえんだ。彼の作品を世の道学者たちが、したり顔で背徳とか糾弾するも、ポルノグラフィーと解釈するも、ナルシスムへの無理解によるものだった。
ナルシスムは単純に自己愛の場合があるが、エゴン・シーレは、ナルシストとして自己陶酔と自己嫌悪であり、常に作品は揺れ動き、たえず和解を求め、敵対した。ナルシストの中には、愛する者と愛される者、男性的なるものと女性的なるものが共存する。
たとえば、シーレは男性を女性化して描き出す。(友情、1913年)は男女の姿を2人の女に仮託してあらわした。彼が意図しているものは、性器とか乳房の有無によって通常、男と女に区別される一般概念の消去である。つまり、男女の単なる外形による境界を取り除き、男と女を人間という同一座標の上にすえたのである。男女を「存在」の形態として、性に左右されずに彫刻を刻んだジャコメッティーと並び、シーレは革新的であった。
そこに「おのれ自身の美に満ち足りる者は、アンドロギュヌス(両性具有)だ」という論理も成り立つだろう。
それら、2つの自我は肉体を通して結ばれることはない。それらを結び付けるはつねに精神であり、ゆえに対峙は緊迫をはらむ。シーレの作品の異常として感じられる衝撃性はここから放射されている。
ある美術の講座で、こんな問題意識を知った。
大雑把だが、世界を理解しようと分類学が始まった頃の話だ。全てのものやことを、分類の意味空間にプロットした。つまり、分けることは分かることを意味する。ところが当時、分からないことがあったらしく、パラドックスという分類の中に放り込んだ。その例がクジラだったらしい。魚類なのか哺乳類なのか分からなかった。都合の悪いものは同時に忘れ去られる。現代の問題意識は、そのパラドックスの中にあるものを掘り起こし再評価することらしい。
『エゴン・シーレ―二重の自画像 (平凡社ライブラリー)
僕は、エゴン・シーレに会うために準備を整える。
ラベル:エゴン・シーレ