2019年04月11日

講座が、なぜ面白かったのか

 『教養としての言語論:言語は私たちをまやかし生きにくくさせる』の講座が、なぜこんなにも面白かったのかを考えた。講義はもちろんだが、ディスカッション(非同期コラボレーション)は見逃せない。また、僕に講義前と講義後にどんな変化が起きたのか。

 最初に現れた現象は、今までにないスタイルで、「白熱の言語学(非同期コラボレーション)」というタイトルでディスカッションに投稿したことだ。

 ディスカッションが魅力的だったことは疑う余地がなく、各スレッドでは、受講者が自由闊達に投稿し、担当講師が全てにコメント。しかも丁寧で論理的で、驚くほどの早さの対応だった。その上、講義に沿ったスレッドでは、様々な視座や視点や視野の投稿で、僕に違った世界を見せてくれた。


 なぜ面白かったのかの理由に 
 非同期のコラボレーションがある


 コラボレーションは、同じ時空(時間と空間と目的を共有)で起きる現象で、同期と捉えることもできる。
 たとえば、クラシックコンサートやジャズセッションでは、心地よいハーモニーやスリリングなアドリブなどが創発。構造的には部分と部分の集合で階層性があり、しかも違った考えでありながらコミュニケーション&コントロールがなされている。コラボレーションの目的は、新たなものや気づきが生みだされる可能性だ。

 ところが、同様のことが非同期のネット環境で行われた。ここで意見交換されたことは興味をかきたてられる。

 まずは、担当講師より言語(学)のこれまで蓄積された様々な概念の紹介があり、それから、かなり踏み込んだ私的な言語(論)としての問題提起がある。このそれぞれのテーマに、受講者が様々な視座・視点・視野で、しかも現実の問題として捉え、ディスカッションの場で議論や意見交換がなされる。いくつかのスレッドでは、ハラハラドキドキすることがあり、僕の日常ではほとんど聞けない話もあった。意外としかいいようがないが、とても刺激的だった。
 
 また、ネット環境は非同期であるが、あまりにもスピーディーな担当講師の対応力(とんでもな体力も含む)と受講者の態度が素晴らしく、実は(非同期コラボレーション)といいながら、感覚的には同期に近かった。そのことも、この講座の魅力を倍増させた。

 最後に、全ての物事を「関係ない」と思わず、自分の文脈に寄せて考え、自分の言葉で「語る」こととまとめてみたい。そして、まだまだ感度が低いが、受信と発信ができる、新たな小さなアンテナが僕の中に立った。つまり、それが講義前と講義後の変化ということになる。


 また、社会言語学の講義後に
 映画の見方にも新しい視点が加わった


 「アメイジング・グレイス」と「ブラッド・ダイヤモンド」の感想で、テーマを奴隷制度廃止とその後(シエラレオネ)としたが、社会言語学の観点では、ピジンとクレオールで捉えることもできそうだ。

 奴隷船では、様々な部族や地域から、あえて多様性をもって移送したらしく、言葉の違いによって、彼らにコミュニケーションの制限を掛け、暴動を防ぐための手立てとした。つまり、支配の方法として言語に着目したことになる。

 ところが、彼らはピジン言語という混成言語を生みだし、コミュニケーションを取り始めた。そしてそれが母語化した第二世代になると、クレオールと呼ばれることになる。

 「アメイジング・グレイス」の映画では、言語に着目しコミュニケーションに制限を掛けた紹介はなかったが、続けて「ブラッド・ダイヤモンド」を偶然見ることになり、その舞台がシエラレオネであることを知ると、ピジン言語とクレオール言語がつながった。

 また、映画の「マイフェアレディ」は、いわゆるシンデレラ・ストーリーだが、この映画をモチーフとして、ピーター・トラッドギルが唱えた社会言語学の概念で、social variation(社会方言)やregional variation(地域方言)の紹介があり、なるほど、社会言語学の解釈方法も参考になると思った。

 social variationでは、prestige(言語における威信)に関して、overt prestige(顕在的な威信)とcovert prestige(潜在的な威信)の話もあった。実社会では、地位や身分の高い人が、身分の低い人たちと連帯感を得ようとする場合、地位や身分が時として邪魔になる場合があるため、一時的にprestige(言語における威信)を低くして調整することで、逆に権威を持とうとする。これが、covert prestige(潜在的な威信←影の威信・裏の威信)という。 
 covert prestigeは言語学的に捉えたが、実社会で似たような行為は様々な形で起こる。

 先に述べたように「マイフェアレディ」の場合は、下町の花売り娘であるイライザが、音声学者であるヒギンズ教授によって、下級階級の社会方言を矯正され「上流階級」の発音に近づいていく。overt prestige(顕在的な威信)とは、このように言語的に「上流階級」を目指す。さてその結果は?

 『教養としての言語論:言語は私たちをまやかし生きにくくさせる』の講座では、様々なことを面白く学んだ。感謝!

posted by トモ兄 at 02:53| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする