今週は遅い夏休みの予定だったが、そうは問屋が卸さない。そうこうするうちに、12時を回ってしまった。そこで、ビッグサイトの予定だったが、急遽上野に変更した。今の時間を見ると午前1時を回っているので、今日行くことにする。

昨日は
「円山応挙から近代京都画壇へ」
東京藝術大学大学美術館
東京初!円山・四条派のすべて
だそうだ。
感想は簡単に。会場へ入ると展示物の順番にしたがって鑑賞する。先ず、円山応挙の写生図巻から始まる。この写生画には目を奪われる。理屈抜きに美しいなと思った。それから、大乗寺の襖絵へとつづく。これまで見てきた、伊藤若冲や狩野永徳に較べると迫力に欠けるように思えた。ところが、その直感は購入した「円山応挙から近代京都画壇へ」公式図録(カタログ)を読み始めると、正しかったようだ。
狩野派は時の権力・権威を絵で強力にバックアップした。
伊藤若冲は仏教の教えに帰依していた。
ところが、円山応挙の絵には権威とか
仏教や漢文漢詩の素養は必要なく、絵に難しい解釈はない。
円山応挙の絵には、「みて、感じて、体感させる画」の
美しい写実画だった。
また時代背景もあったらしく、江戸時代の中期は新興商人(京都から見れば、地方にルーツをもつ商人のこと。たとえば、呉服商・両替商の三井家など)を中心とした町人層が台頭したが、絵といえば、狩野派や土佐派の様式美だった。ところが、まったく新しい様式で世界をリアルに描き出す応挙芸術に、裕福な町衆たちはまたたく間に魅了された。京都の伝統に縛られない新興商人にとって、応挙の新規なスタイルは受け入れやすかったにちがいない。
ということらしい。僕も美しい写生画に目を奪われた。だから、権威を画でバックアプするような威圧感も、宗教的な畏敬の念もなかった。
円山応挙が変えたものは、それまで御用絵師の描く敷居が高かった絵画が、応挙のおかげで、商人や町衆にとって、自分の家で眺めたくなる身近なものとなった。
なるほどと思った。
明日は展示会。
ラベル:円山応挙