2019年10月17日

ちょっと脳天気な話 帰崎顛末記_6(長崎丸山)

 さて、長崎丸山ってどんなとこ?

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 丸山は寛永19年(1642年)江戸幕府の命を受け、長崎市内に散在していた遊女屋を1カ所に集めたことに始まります。丸山は江戸の吉原、京の島原とともに、日本三大遊郭といわれ、長崎丸山には他の2カ所にない特徴がありました。

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川原慶賀「唐蘭館絵巻」より「唐人部屋遊女遊興図」/長崎歴史文化博物館蔵

 丸山の遊女は、唐人屋敷やオランダ屋敷(出島)への出入りが許され、異国人との交流があったこと。つまり、今でいう国際化でしょうか。また、当時、『江戸のきっぷに京都の器量、長崎の衣装』といわれたほど、長崎丸山遊女の衣装は華やいだものであったようです。

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 江戸の文学者井原西鶴が『日本永代蔵』に、「長崎に丸山といふところなくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」こう記した。上方の商人達は、随分と丸山にお金を落として帰宅したようです。
 また、特に史跡料亭 花月 県指定史跡(昭和35年指定)は有名で、花月は寛永19年(1642)に開業した遊女屋引田屋(ひけたや)の庭園内に、文政元年(1818)頃造られた茶屋。大正末年引田屋は廃業したが、花月の名称と庭園、建物は現在に継承され、昭和35年(1960)には長崎県の史跡に指定。全国的に珍しい史跡料亭となった。

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 花月の歴史を物語る見どころも数多くある。坂本龍馬がつけたという刀痕が残る床柱がある「竜の間」。「長崎ぶらぶら節」で有名になった名妓・愛八直筆の歌本や写真、向井去来の俳句や頼山陽の書、坂本竜馬直筆の書などが展示してあります。各部屋から見渡せる元禄時代に造られた庭園も素晴らしいそうです。他にも勝海舟、岩崎弥太郎等が利用していて、幕末から明治初期の歴史ファンにとっては、たまらない所ではないでしょうか。


青柳_1.jpg

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 また、料亭 青柳(長崎市都市景観賞受賞)は、丸山より一段高い場所の草地で、梅園天満宮の大祭時などには、芝居地や相撲興行地として使われていたため、興行師などが滞在する宿屋としてつくられたのが料亭杉本家。料亭 青柳の初代、山口貞雄が昭和二十三年に旧料亭杉本屋を購入。料亭を改修・再開し、今に至っています。昭和三十年からは平和祈念像建設のため彫刻家、北村西望翁が亡くなる前年まで毎年足を運んでいたそうです。

天満宮_1.jpg

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 花月の隣には梅園身代わり天満宮があり、

中の茶屋_1.jpg

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 天満宮を挟むように、奥側には中の茶屋(市指定史跡)があります。当時は内外の文人墨客などが訪れ、丸山を代表する茶屋(料亭)でした。昭和46年(1971年)建物が類焼し、庭園のみとなりましたが昭和51年(1976年)に建物が再建され、現在は長崎市清水崑展示館として公開されています。

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 その近くには、福屋跡(日本西洋料理の店の先がけ)。

高島_1.jpg

高島_2.jpg
 
 また、高島秋帆旧宅(国定指定跡)もあります。

 長崎丸山(花街)の規模は、記録によると延宝時代(1673〜)には遊女屋敷74軒、遊女766人。全盛期の元禄時代(1688〜)には遊女は丸山・寄合町あわせて1,443人いたといわれ、昭和32年4月1日「売春防止法」が施行され、1年間の猶予措置の後閉鎖、丸山の320年が終わりました。

 ただし、現在も花街として歴史的景観を残し、それだけでなく、芸奴(芸者)の踊りなどを楽しむことができるそうです。

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 伝統的な花街は、芸奴を抱える「置屋」、場所を提供する「待合茶屋」、料理を提供する「料理屋」に、さらに芸奴を派遣を取り仕切る「検番」が存在するのが一般的ですが、長崎の場合は、場所も料理も提供する「料亭」と「検番」が今も存在しています。
 
 僕は丸山かいわい散策マップを見ながら、約3時間の丸山界隈を散策。写真も撮ったので、文章に沿って載せたいと思います。

posted by トモ兄 at 18:32| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ちょっと脳天気な話 帰崎顛末記_5(長崎丸山)

 唐人屋敷に較べると、若干花街丸山には興味があった。ところが、高校生までしかいなかった僕にとって、福砂屋本店までが限界で、それ以上足は伸びなかった。今回もお土産を購入するために福砂屋本店へ立ち寄り、地方発送して貰うことにした。なので、身軽だし時間もあった。ちょっと迷ったが(思案したが)、思案橋を越え、思切橋を渡り切り、いざ丸山へ。

 なんて大袈裟なんでしょう。位置的に福砂屋本店はすでにその橋を越えているが、気持ちだけはそんな気分で。

 まずは長崎丸山の位置関係を
 手元に長崎丸山はなまちマップがあり、開くとB4、畳むとコンパクトなガキサイズになります。内容もコンパクトにまとめられていてとても便利です。表紙と中面のマップを載せさせて貰います。
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 表紙の下部写真は、丸山本通り。この写真はモノクロ写真に着色したようです。(長崎手彩色絵葉書)

 はなまちマップを参考にしながら、さっそく散歩を開始。

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 「思案橋」(丸山にいこうかどうか思案)からスタート→福砂屋本店(思切橋と見返り柳)へ
 福砂屋本店のバックに金色に見えるビルが見えます。ここにもよう(和華蘭)分からんが。また、電信柱があるところに、「思切橋」(思い切って丸山へ)の欄干の跡があり、よく見ると柳があります。この柳を「見返り柳」といい、丸山からの帰り道、丸山への未練を断ち切れず振り返っていたことから、名付けられたそうです。

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 余計な話ですが、福砂屋本店内にガラス器コレクションが展示してあるスペースがあります。メモ程度のスナップを数点撮り始めると、そう言えばと、昔々のことを思い出しました。優勝カップのカタログを制作していたころ、D通のカメラ部が早崎スタジオを紹介し、僕がADでデザインし、撮影に立ち会っていました。その時のD通カメラ部の担当者(確か部長だった)が、福砂屋本店のガラス器コレクションを撮影していた。何だがその撮影をライフワークのような感じで話していたことを思い出しました。福砂屋は有名なカステラメーカーですが、まさかD通が関わっているとは。

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 さて、この異国情緒溢れる建物は何?お土産屋さん?実は現在の花街丸山の入り口付近にある、丸山町交番です。
 
 つづく...

ラベル:長崎丸山
posted by トモ兄 at 10:58| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする