2020年05月17日

新しい朝の習慣の功罪

 まずこの画像を見てもらいたい。MacOSを最新版にアップグレードしてから、iMacを立ち上げると、下記のDeskApp for YouTubeが現れる。

DeskApp-for-YouTube.jpg


 この機能はとても便利で、とても自粛生活には役立つ。新しい朝の習慣は、DeskApp for YouTubeのどれかをクリックすることことから始まる。今朝は例の北千住を聴いた。当然だが待ち時間の時にも役立つ。ちなみにこの中で最もクリックしているは、Whitney HoustonとMariah Careyで凄すぎる!
When You Believe ft. Mariah Carey (From The Prince Of Egypt) (Official Video)

 また、【15分ぐらいで本の解説】もよく聴く。そして、マックにインストールしているアプリやデバイスの裏技シリーズ。制作時間に加えて、ブログを書き、プライム・ビデオ(今年になって既に63本見ている)やgacco等の講座も利用している。とにかく、アプリはどんどん新しくなるので、スキルアップは限りなく続くだろう。
 つまり、功罪とは、モニターの視聴時間が増えたことによって、「目のリスク」が高まることだ。
 一時期、新型コロナが収束すると、「目のリスク」についての情報が増えるかも知れない。僕にとって「目のリスク」はとても身近な問題なのだ。

 たとえば、目のパチパチ体操は毎日している。また、目が痛みだしたので、2〜3年前からマキベリーやルティンを服用し、目が痛むことは少なくなった。ところが、モニターの視聴時間が増えると、今度は目の下にクマができ霞むことが多くなってきた。そこで、最も効き目が早い「蒸気でアイマスク」を使い始めた。目が痛くなっても、続けなければならないときに限定しを使う。(^_-)-☆が見えたでも書いたが、1日に1回は身体を温めると健康にいいように、目も温めれば効果があるようだ。

 ネットを見ると、新しい生活様式の具体的な例がある。しかし、それだけでなく、意外な問題に対応が求められるかもしれない。温かくなると新型コロナは一時期収束するようだ。だからその時期に第2波の対応策として、想像力を働かせ事前にできることは、できるだけやっておこうと思う。

 いつまで、緊張感を持続しなければならないのかという問題はあるが、とにかく急な心の緩みは禁物だ。

 ファイト(^_^)/o
 
posted by トモ兄 at 13:10| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「イカロスの墜落」も思い出した


 ピーテル・ブリューゲルの絵は、美術の教科書に載っていた『雪中の狩人』しか思いつかないが、兄からピーテル・ブリューゲルの展覧会に行ったというメールに刺激され、何となくネットで調べてみた。

Bruegel.jpg

 最も興味を覚えたのは「イカロスの墜落」で、ブログに書いてみた。しかし、後で分かることになるが、作品の正確なタイトルは『イカロスの墜落のある風景』だった。

 意図的ではなかったが「...ある風景」があるなしでは、解釈に大きな違いがでそうだ。つまり、視点や視座や視野が違ってくる。
 
 僕はまず「イカロスの墜落」というテーマで考えてみた。
 2008年1月8日(このブログの開設の頃)

 最初に見た「イカロスの墜落」は、イカロスの父親で、しかも発明家でもあるダイダロスの視座と視点と視野を、現在の僕の視野に変換を試みた。
 
 「イカロスの墜落」は人間の愚かさに喩えられるが、「リスクを取る人間につきまとう悲しさ」だと教えてくれる。人類はイカロスの大空への憧れを継承・発展させ、多くの犠牲と失敗を重ね、ついには空を飛ぶことを実現させた。
 
 「イカロスの墜落」の製作年は1560年代(模写)といわれていて、約450年後にこんな感想をもった。そして、イカロスの蹉跌をひろい夢翔る の短い感想も記した。
 

 昨日は約460年後で、ピーテル・ブリューゲルの絵には、諺がテーマになっている作品が多くあることを知った。

 『イカロスの墜落のある風景』は神話画であるが、農民が畑を耕す姿に、「人が死しても、鋤は休まぬ」というネーデルランド地方に伝わる諺を描いているという、指摘もあるそうだ。
 手前の農民が大きく描かれていることには、納得せざるを得ない。おそらく、人が死んでも、その鋤は何事もなかったように別の人に引き継がれ、休むことはない。つまり、日常はただひたすら何も変わることなく続く、とでも言いたいのだろうか。
 だから、余計な変化を好まず、ワンパターンであっても、変わらぬ穏やかな毎日を幸せだという世界観があったのか。

 だとしたら、なぜ、足が着水したシーンが必要だったのか。逆説的だろうか。どんなにドラマチックで悲劇的な「イカロスの墜落」という出来事であっても、『イカロスの墜落のある風景』のほんの一部にすぎない。また取るに足りないこと。つまり、非日常よりも日常を強調しようと試みたのか。
 また、いっそのことこの絵のタイトルを「人が死しても、鋤は休まぬ」にすればもっと納得がいくかも。足が着水したシーンは漁夫が海に潜っているように見えなくもない。つまり、「ネーデルランドの諺」の別バージョンということになる。

 しかし、なぜ『「イカロスの墜落」のある風景』なのか。この絵のイカロスの死は、ダイダロス以外の視点以外全くない。つまり、誰に見られることもない「無関心さと、孤独な死のイメージ」が隠されている。実はほんとは恐ろしい絵なのだ。そして、死のイメージを感じることができるのは、唯一僕らの視点なのだ。 

 『イカロスの墜落のある風景』の二つの解釈で、「リスクを取る人間につきまとう悲しさ」と「無関心さと、孤独な死のイメージ」だと考えてみた。

 絵を描かれた当時の人たちに、悲惨な人生を回避するためには、逆説的であるが、ダイダロスの視点をもって、如何に変わらぬ日常が大切でるかを訴えかけているのか。
 
 結論である、現在の僕の視野に変換を試みると、ダブルスタンダードのようになるが、「イカロスの墜落」とは、その変化のリスクを引き受け、できることで対応し、変化する日常に新たな価値を見いだすこと。

 ほんとに?恐 …>_<…

posted by トモ兄 at 00:38| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする