2020年09月02日

できないことはない、今日を進め

 たかが今週の火曜日1日だけ卓球練習ができないだけでも、気持ちと身体がフン詰まってしまった。とても気分が悪い。しかも練習だけでない。他にも嫌なことが重なって、珍しくイライラしている。

 これまで練習していた体育館は、約1年間の改修工事に入るが、倶楽部の会長の尽力により、他の体育館で10月から、月1回練習ができるようになった。また来週から、中学校の体育館でも週1回の練習が再開されることになった。

 ほんとよかった。中学校にはできるだけ行き、いい汗をかきたいと思っている。これで何とか体調を取り戻せるように努力したい。来週からスケジュールに追加する。

 先月は、夏季名刺広告も重なり大小併せて57本制作した。月末の週には、久しぶりにコンペにも参加した。売上げになるのは厳しいと思うが、加えると62本になった。本数だけは上出来だった。

 今月はそんなに忙しくない。毎週1本のペースでコンペに挑戦しようと考えている。コンペは登録している仕事のマッチングサイトで行う。現状はやっとレギュラーランクになった。次はブロンズランクを目指す。そのためには、仕事を1件以上受注することが条件になる。

 仕事はほぼレギュラーで、同時にコンペに参加することになる。今までは無理だった。その理由は簡単で、制作スピードが遅かった。ところが、最近だんだん早くなってきた。だから、チャレンジできるようになった。
  
 若干オーバーワーク気味になるが、できないことはない。

 一昨日の広告で

 「心を着替えて、今日を進め。」 
 【ルミネ】Season Visual-心を着替えて、今日を進め。
  -2020autumn(LUMINE)


 ほんと単純だと思うが、元気とやる気がでてきた。
 今週のスケジュールから追加する。頑張ってみよう!

posted by トモ兄 at 20:36| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日も新聞から...文化・文芸面

 昨日は、見開き4C広告のインパクトがあまりにも大きすぎた。そのために記事は目に入らなかった。

 今朝は朝刊をゆっくり見た。文化・文芸面で、

語る-人生の贈りもの- 
筑豊へ疎開 貧富の差にショック
グラフィックデザイナー 松永 真 2
の記事があった。昨日はそんなわけで、1は見逃した。

 カンプ&フニッシュ会社に数社務めていたころ、会議室(打ち合わせルーム)があり、決まって本棚があった。そこには広告関連雑誌、AD年鑑、カメラマンやイラストレーターの作品集があり、毎日飽きもせず見ていて、今じゃ考えられないほど詳しかった。同じ業界の人だったら、誰でも知っている松永真さんは好きなデザイナーの1人。当時、僕のお気に入りはデザイナーでなく、イラストレーターの伊坂芳太郎さんだった。

 その松永真デザイン事務所(確か新宿の初台だと思った)に、まさか関わるとは思いも寄らなかった。たかが1回か2回いだけだったが。

 僕はカメラマンに紹介され、ジンスタジオに強引に入れてもらった。やっと、カンプ&フニッシュを卒業して、晴れてデザイナーになるためのスタートを切った。ジンさん(フレディー・マーキュリー(QUEEN)から作品を依頼された人)は、ロットリングで佛画を描き始めた頃で、仕事は読広や東北新社や博品館やトーソーなどがあり、それなりに忙しかった。僕の仕事は、朝のお茶出しやトイレ掃除、資料を頂きにいったり納品で、メーンはまだまだ版下制作だった。古い言い方だが、まさに丁稚奉公のような生活だった。

 その頃、プロテインブランド「ザバス」の立ち上げの仕事が始まり、僕は松永真さんがつくったロゴを頂きにいった。

 話は少し遡るが、それまで、ジャパングラフィックスや日本クリエイティブのデザイナーからサムネールやラフを頂き、印刷原稿に仕上げていた。予算のある仕事はカンプ&フニッシュというケースもあった。
 その時の小さなサムネールは、考えようによっては、原寸に拡大するとき、デザインできる余地がありチャンスでもあったが、一言でいうと彼らはいい加減だった。だから、そんな原体験があるので指定原稿を信用したことはない。

 ところが、松永真デザイン事務所で、盗み見た指定原稿(雑誌モアのインタビューページ)はあまりにも美しくて驚いた。
 初めて一流といわれている人の、シビヤさや凄さを思い知らされた瞬間でもあった。

 その販促用のツールのイラストは、ポパイという雑誌で描いていた人にオーダ。コピーライターからコピーをいただき、ジンさんがつくったラフを見ながら、すぐに五月社に写植をオーダーし、B3サイズだと思ったが、数点のイラストにコピーが食い込んだレイアウトで、印刷用の版下を必死になってつくった。

 ついでにいうと、ジンさんはトモちゃんと呼んでくれたが、約1年間は怖くて怖くてしょうがなかった。

 さっき、印刷入稿とデータ入稿が3ページ分無事済んだ。
 新聞の記事内容とは関係なかったが、懐かしくなったので、
 一気に書いた。

 かなりしんどかったが、面白かった。

posted by トモ兄 at 15:19| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする