2020年09月06日

この映画「ファイト・クラブ」は、やばい_3


 僕はある意味で大人になりきっていなかった。
 「ファイト・クラブ」はバンジージャンプに似ていた。

 つまり、昔々は大人になる儀式があった。それはとても危険な臨死体験であり、そのあと大人として生まれ変わる。つまり、僕にとって「ファイト・クラブ」はバンジージャンプだった。また、タイラーは盗んだ車に僕を乗せ対向車線を猛スピードで走り出し、タイラーはハンドルから手を離した。車は止まっている車と衝突し、土手へ転落する。そこでタイラーは僕に「生きていたな!」と、ニヤッと笑った。

 僕(観客として)にとってこのシーンは最低なシーンだ。つまらない人生だと思った。生きていることを実感するためには、もっといい方法が必ずあるはず。
 僕(観客として)にとって最高のシーンは、僕がもう1人の僕であるタイラーを拳銃で撃ち、大人へジャンプする。やっと「ファイト・クラブ」から卒業できた瞬間だった。

 長くなってしまったが、ポジティブな意味の結論を急ごう。

 この物語は、あまりにもやばすぎるメタファだ。この映画は無責任で反社会的で容認できない社会へのテロ攻撃だ。
 しかし、この映画は逆説的に捉えるべきだ。

 また、僕は消費に毒された、あなたたちの代表者でもある。僕たちの持ち時間を生き生きと生きるためには、無駄な消費に踊らされることよりも、本当に自分のやりたいことをやろう。世界には様々なつくられた夢や欲望が渦巻いているが...
 
 だから、本当に自分がなりたいものを目指そう。

 そして、もう1人の自分が現れて、そのために戦えといいながら、自然と消えていった。
 これがきっと、「ファイト」なのだ!


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posted by トモ兄 at 18:09| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この映画「ファイト・クラブ」は、やばい_2

「ファイト・クラブ」の分かりづらさは、僕とタイラー・ダーデンが同一人物であることにある。この話が佳境に入ってくるころに、マーラとの電話でやっと分かる。つまり、もう1人の自分であることが分かる。しかし、映画の中では、現実にいる人物で全く別人のように扱われてい。

 タイラー・ダーデンに「君はぼくなのか?」と尋ねる。
 「その通り。お前は人生を変えたかったが自分ではできなかった。だから俺が生まれた。俺はお前の願望どおりの姿をして、お前に理想のファックをする」
 つまり、僕のもうひとつの自分だった。そして、マーラを
タイラーとなって愛していた。

 ポジティブ意味の話に入る前に、このブログでもう1人の自分をテーマにしたことがあったので紹介したい。
(イマジナリーコンパニオンあるいはイマジナリーフレンドについて)

 2008年02月23日 ■50歳の日記 ラーメン屋での四方山話

 2019年02月24日 ストレス解消に、こころの友達を

 もう1人の自分は、自分を助けたり癒やす存在で、自分自身に反乱を起こすことはなかった。いつの間にか自然といなくなる存在だった。ではなぜコントロールできなかったのか?

 まずは、僕を紹介する。

 僕は不眠症に悩んでいる。都会の豊かなホワイトカラーだけの病気なのか。30歳独身、大手ARI車メーカーに勤め、仕事は「リコール・コーディネイター」、欠陥車をリコールするかどうか決めるのだが、実際は車の欠陥を隠すために被害者や遺族の口を金でふさぐ汚い仕事だ。そのために飛行機でアメリカ中を飛び回っている。
 僕は高級マンションに暮らしている。まるで部屋はIKEAの3Dカタログの中を歩いているようだ。凄いでしょう。僕は他の人と同じようにIKEAの奴隷になってしまった。僕にほんとうに必要なのか分からないが続けた。僕はそれだけでない、他の商品もそうなのだ。僕はこういう人間だとアピールする。しかし、商品は本当の僕ではない。僕は何もかの企業に所有されている。

 僕は商品を買う。買った瞬間は高揚するが、すぐに覚め欠落感に苛まれる。まるで中毒だ。ネガティブスパイラルは止まらない。

 そんな状況で、もう1人に自分のタイラー・ダーデンが現れることになる。また、もっと不幸な人たちと会う、嘘のホスピタルツアーに出掛ける。そこで似たような女性でマーラと知り合うことになる。

 (中略)

 そして、タイラー・ダーデンはいたずらテロリストから、本物のテロリストへ変貌していく。また、殴り合い痛みを受け入れることで生きていることを実感する。これって、僕の理想や願望だったのか。

 僕はある意味で大人になりきっていなかった。
 「ファイト・クラブ」はバンジージャンプに似ていた。

 つづく...
posted by トモ兄 at 17:00| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この映画「ファイト・クラブ」は、やばい_1

 やばいとは、『あぶない』という意味と『すごくいい』という意味があり、ネガティブとポジティブな意味が同居する。僕はこの映画をポジティブな意味で捉え、感想を書きたいと考えている。つまり、この曖昧な同居状態こそがやばいと思っている。もし自分の中にもう1人の自分が現れて、暴走が始まったとすると、この曖昧な同居状態こそがやばく、どちらが僕にとって重要なのか。僕の大切な持ち時間を生きるに値するのか。その曖昧さは混沌を生み、僕はその暴走をコントロールできない状態に陥った。そして、僕はそんな僕にどんな後始末をしたのか...(ここの部分が、この映画のエンターテイメントとして面白く、ときにはコメディタッチだったりもするがドキドキする。しかし、このテーマは、おそらくその面白の裏に隠されている。その格好良さだけを自分の中に取り込んではいけない)

 昨日、この映画の感想はすぐにまとまらないと書き、そして、他の人の感想を参考にしたいと書いた。実際に他の人の感想を読んでみて、自分で気付けなかったこと、言葉にできなかったことも分かってきた。なんでもそうだが、様々な考え方があるのもだ。そこで、自分なりにまとめることした。

 まず、ネガティブな部分から書く。

 この映画は、メーセージやテーマ性よりもよりも、ブラッドピットが演じている、強い男性であるタイラー・ダーデンに憧れる。この映画はその格好良さだけでも十分に満足できる。
 つまり、自分と正反対の暴力的であっても、ワイルドな生き方をする男に魅力を感じてしまう。
 僕は過去に、似たような経験がある。それは、燃えよドラゴンのブルースリーに憧れた。僕のNo1.映画は、いまだに燃えろドラゴンだ。
 
 しかし、燃えろドラゴンのヒーローものとはだいぶ違う。タイラー・ダーデンは、「ファイト・クラブ」という思いっきり殴り合いをする(その痛さで、生きていることを実感する)コミュニティーを拡大しカリスマになる。そこで次第に変貌していく。消費の奴隷になってしまった僕。生きている実感が薄れて、取り戻すためにまた商品を購入し、その瞬間にまた欠落感に苛まれる僕を、一気に取り戻す計画だった。その計画を実行するまでに、様々な詭弁と思われるエピソードがちりばめられている。

 その計画とは、消費でしかライフスタイルを満足できなくなった人たちの、心の空虚さを埋めるためることだ。それは、その消費システムの基盤であるクレジット会社を破壊することだった。これで、金融の歴史を終わらせ、僕の消費スタイルも終わらせる。つまり、文明を破壊するテロ活動だった。

 僕はいくらなんでもそれはやり過ぎだと思い、タイラー・ダーデンの計画を中止させるために、僕は彼と対決することを心に決め、行動を始める。

 ここで、ちょっと一休み...
posted by トモ兄 at 12:35| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする