2008年06月21日

秋葉原から初台へ、それからミーム

昨日、フォントの再契約は期限が切れていて、眠くてしょうがなかったが予定通り秋葉原へ行った。そのショップからは無差別殺傷事件の現場が見えた。店員の人は殺傷後の一部始終を見ていたそうだ。

それから、上野か六本木に行く予定だったが気乗りしなかった。結局初台のNTTインターコミュニケーション・センターに向かった。ここは、アート&テクノロジー、研究開発、ネットワーク、アーカイブなどのゾーンがあって、新しいコミュニケーション文化の流れを感じ取ることができる。しかも作品は無料で鑑賞・体験ができる。

面白かったのは、作品:比壽了《VP3L》2006
暗い空間の壁にドットでできた立方体の映像が浮かぶ。ボタンを操作することによって、たとえば映像が拡大したり自由に回転ができる。その動きに伴い音響も変化。次第に自分自身もその映像の中に取り込まれていき、一部分になってしまう。今までになかった経験で、まるで宇宙船のパイロットになったような不思議な気分になる。「インタラクティヴ」「映像」「音響」といった複数のキーワードによる、メディア・アートとしての作品を体験。アート&サイエンス・テクノロジーは未体験な経験を提供する。

興味のある方は、ICCにアクセスしてみてください。
http://www.ntticc.or.jp/index_j.html

帰る途中、なぜか「ミーム」を思い出してしまった。


「ミーム」はドーキンスが利己的遺伝子論で副次的にできた概念で、遺伝子をモデルとして発想され、情報も人と同様に生き物のように「ミーム」によって複製され広がっていく。

なぜ思い出したかというと、未体験で魅力的な経験をしたことではなく、秋葉原無差別殺傷事件直後に9件の同様な模倣犯が発生したことによることが大きい。強烈な事件が起きると、必ずと言っていいほど伝染するように模倣が起きるそうだ。

「ミーム」は、R・ドーキンス博士が1976年に著した『利己的遺伝子』の中で初めて提案した概念で、人間の文化はすべて遺伝子のような小さい断片でできている、と考えた。遺伝子の複製は、生殖を通じて行われ、「ミーム」の複製は、人間の知るという行為によって行われ、遺伝子と同様に自己複製という性質があり、結果的に人間の模倣が起きる。そして、「ミーム」は、言葉を道具として脳から脳へと自分をコピーする。遺伝子は、肉体組織を複製し生命維持に役立ち、「ミーム」は心に大きく影響を与えるらしい。

そうやって考えてゆくと、なぜ模倣犯が起きるのかが想像できる。 遺伝子はミスコピーをすることがある。「ミーム」にも同様なことが起こるらしい。無差別殺傷事件はできればそうあって欲しい。そのものズバリであると恐ろしいことになる。メディアは、犯行の理由をキーワードとして流す。「負け組」「孤立」「恋人ができない」「いじめ」等。
遺伝子は生き残ることが目的らしいのだが、人間にとっては、その複製された機能がより重要で生命を維持できる。「ミーム」も同様で、心はある行動を伴う。もしほんとに、人間の知るという行為によって、言葉を道具として模倣されるとすると、犯罪の観点から見ると、この世の中は矛盾に満ちあふれている。

このままだと「ミーム」は、マイナスイメージに思われると不味い。単なる自己複製子のひとつなのだ。人は遺伝子と「ミーム」に影響を受けているとすると、遺伝子にとって、人が栄養を多くとることは有利に働き、結果的に人は太る。ダイエットという「ミーム」は、人に食事を制限させる。この二つ自己複製子は矛盾したオペレーションがあることになる。しかし、人は食事の量を減らすことなく運動するという行動も取ることができる。つまり、強い意志が働く。何らかのきっかけがあったとしても犯罪を抑止する強い意志が働く。物騒な世の中になってしまったが、人の持つ強い意志を信じたいと思う。
posted by トモ兄 at 04:15| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック