2008年08月09日

ある晴れた日、鶴の港に悪魔が降りた。_2

534616314_64.jpg

唐八景は(とうはっけい)と読む。ここから長崎市を見下ろす景色は素晴らしい。観光客は向かい側の稲佐山に登ることが多い。地元の人はピクニックとか遠足の地として慣れ親しんでいる。

俳句読本(メルマガ)に登録しています。
8月7日、広島原爆の日に配信された俳句は、

 原爆忌青空哀し黙祷す    後月 美華



長崎に帰省した時、唐八景に登り長崎港を一望。やはり、美しい街だなと思った。その日の日記から。

      やはり、美しい街だと思う。

海岸線は、たしか山が海に沈降した溺谷で、複雑な海岸線をつくるリアス式海岸。江戸時代から盛んになった埋め立ては、現在も行われていて、海岸は整備され港町として発展してきた。帰るたびに、海はだんだん狭くなっていく感じがする。

534616314_250.jpg
長崎港は細長く、長崎湾への入り口である、女神と神崎鼻は約700mの距離になり先がすぼまっている。ここに、海面からの高さが日本一の傾張橋「女神大橋」が架かっている。写真はちょうど橋の中間地点から長崎湾を望んだ。港の入り口付近には島が点在する。

また、長崎港の入り口付近には島が点在し、そのためなのか港内は波が立ちにくく穏やかである。天然の良港である長崎港は、鶴の港と称される。また、日本の西の端であるという地理的条件が、鎖国時代にも唯一の外国との貿易港であったことに影響したのかもしれない。
周辺は山に囲まれ平地が少なく、すり鉢状の地形をしている。
昼間の風景の第一印象は、だんだん畑のように山の急斜面に家が張り付いているように感じる。初めて長崎を訪れた人は、この風景が不思議なようだ。当然だがこの地形では、坂が多くなる。 この地理的条件や歴史的な特殊性が、長い時間をかけ美しい風景をつくるひとつの要因だった。
夜になると昼間の表情とは一変。街は輝きだし、百万ドルの夜景に変貌する。

長崎の夜景(稲佐山からの夜景)が
「瀬戸の夜景」というサイトに掲載されています。
http://ww4.tiki.ne.jp/~mmurakami/setoy/kyusyu/nagasaki2.html

また、長崎は雨のイメージがありアジサイの花がよく似合うが、晴れても素晴らしい。
ところが、どんなに晴れても心は晴れぬ日がある。
次の日の日記から。

      唐八景より、長崎港を望む。

最初に書きはじめた日記は、あまりにもプライベートで、しかも長くなりそうだったので、やめてしまった。しかし少し書いてみたい。
唐八景よりの写真の右上に川が見え、浦上川という。その川の写真右手ぎりぎりのとことに原子爆弾が落ちた。母は写真中央の山(唐八景と長崎港にはさまれた小高い山)の麓辺りで被爆したらしい。ちょうど爆心地からは山陰になり、母は生き残った。だから僕がここにいる。

昭和20年8月9日
当初の原爆投下の目標は福岡だったが、厚い雲に覆われていたため変更された。そして悪魔のB29は雲の切れ間を発見。
その下に長崎があった。

最近、原爆の開発に携わった科学者のインタビューを見た。
なぜ、原爆を上空で爆発させたのか。
科学者は、その一つの理由として、いずれアメリカの原爆被害調査団が現地に入る。その時に、二次的な放射能による被曝を極力防ぐため、爆発させる高さも計算に入れた。
つまり、二次的な放射能被害を最小限に抑えた。
ハァ〜。 自国の原爆被害調査団のために。 
     そこに住んでいる人のことは?
    
そんなことを自信ありげに言われると、むかつく!
国家的なプロジェクトで、パワーの最大化を目標にするとき、科学者は良心をなくす。インタビューを受けた科学者は、言い過ぎかもしれないが、英雄気取りで達成感に満足しているようだった。

チャップリンは殺人狂時代で、こんなセリフをいわせる。

 「1人を殺すのは殺人者で、百万人を殺す者は英雄なのか」

また、日本にも同様の計画があり急いでいた。
戦争は、科学者だけではなく、多くの人の良心を奪う。人類に百万人を殺す英雄は絶対に必要ない。


兄は原爆一世で、僕は二世。今年も墓参りに帰る。
二度と同じことが起こらぬことを、青空に願う。

ラベル:原爆 長崎
posted by トモ兄 at 18:05| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック