2008年09月11日

石井雅史 テレビやサイトを読んで思ったこと。

ちょっと、おそくななりましたが、

やったー石井雅史、

期待に応え、世界新で金メダル獲得。

おめでとう(^_^)/□☆□\ (^_^ )


北京パラリンピック4日目の9日、男子自転車千メートルタイムトライアル(脳性麻痺4)で、世界新記録を更新する1分8秒771で優勝。日本勢初の金メダルをもたらした。

たまたまなのですが、その日の9日、午後1:20から、北京パラリンピックで金メダルを目指す、石井にスポットを当てたドキュメンタリー番組のアンコール放送を見た。
それまでは、石井選手のことを全く知りませんでした。

石井雅史 28歳の夏、ここから物語は始まります。

●事故から7年後、パラリンピックで金メダルを獲得。
 「パラリンピックへの挑戦 無心でめざす北京のゴール
 −高次脳機能障害の自転車レーサー−」
 (NHK福祉ネットワーク番組・2008年4月10日放送)

石井雅史は、藤嶺藤沢高校時代に自転車で国体に出場し、19歳で競輪選手に。
01年夏、練習中に山道のカーブで乗用車と正面衝突。1カ月後に意識が戻ったが、平衡感覚がなくなり自転車に乗れない、
高次脳機能障害と診断され、左脚にもまひが残った。

石井雅史は、家族や医師の支援を受けた。リハビリを兼ね、競輪選手の仲間に身体を支えられ、自転車にまたがった。歩くこともおぼつかないのに、なぜか自転車には乗れた。退院後、競輪選手の復帰を目指したが、頭部画像を見た競輪養成学校医に、競輪選手復帰は無理だと言われ引退する。

しかし、石井雅史は自転車を諦めなかった。

7年前の事故により障害がある高次脳機能障害になったが、家族や医師の支援を受け、再び自転車競技に取り組むようになった。07年8月に行われた「パラサイクリング世界選手権」では世界記録で金メダルを獲得。北京パラリンピック自転車競技では、最もメダルを期待される選手になった。


08年9月9日。レースは8人中最後に登場。
スタート前、日本で応援する妻子や観客席の父親に感謝を込めて、目をつぶり両手を合わせた。

自転車千メートルタイムトライアルは陸上競技でいう、短距離走。だから、スタートが最も重要といっても過言ではない。
石井雅史は、障害者の自転車競技の日本代表監督を務めている班目秀雄氏から、スタートを改善しトップスピードをいかに上げられるかをたたき込まれる。

その結果、千メートルを世界一の速さで駆け抜けた。
ゴール直後には、観客席に右手を高く上げ、人さし指を突き上げ、競技場を去る間際には、帽子を振って観客席に「ありがとう」と叫んだ。

7年前の事故のとき、妻智子さんと婚約したばかりだったが、婚姻届けを提出した。自転車に乗ることに賛成してくれた家族やチームのみんながいた。
石井雅史は、自分一人では絶対にここまで来られなかった。
「金メダルはみんなの力だ」と語った。

石井雅史は自転車を諦めなかった。
それどころか、自転車がたまらなく好きだった。
7年前の事故から立ち直った元競輪選手にとって、
自転車は身体の一部になり、
そして、「自転車は生きる力」となった。

最後に、石井雅史はとてもハンサムでよく笑う人だ。

posted by トモ兄 at 20:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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