2009年07月01日

チャレンジとは、パンドラの箱を開けた気分

 チャレンジすることは、そんなにバラ色のみに染まることではない。最近トリプルジョブをはじめたのは経済的原因からであったが、その仕事で、すでに同年の2人がリタイアしてしまった。

 ジョブは簡単そのもので多少力がいるかな程度。しかし、制限時間の中で個数をどんどん増やされ要求されると、イメージが全く違ってくる。リタイアした1人は、おそらく軽いくも膜下出血だと想像でき、まっすぐ歩けなくなり身体の片方にしびれが残った。もうひとりは手首を骨折した。収入を得るためだったが不幸な結果を招いてしまった。しかも、仕事をはじめてから1ヶ月もたっていない。とてもお気の毒だった。
 
 さて僕の方は、どうなったか?
やっと仕事内容を覚えたかなという程度で、身体的には体重と血糖値が劇的に落ちた。週5日で午後3時まで、2ヶ月目。身体は疲れぎみで節々が痛い。リタイアした二人には大変申し訳ないが、モノは考えようで、減量するためにフィットネスクラブへ通い収入を得ている。

 一方で、僕にとって複雑なことも起きている。
メインの仕事が動き出した。トリプルジョブをすませ、しばし休憩をとりそれから仕事をはじめる。結果的に深夜までにおよび睡眠時間が減少。セカンドジョブのアフィリエイトは控えざるをえないし、メインの仕事はまだ安定していないために、トリプルジョブをリタイアすることはできない。

 気休めかもしれないが…

 パンドラの箱をチャレンジと喩えると、仮に「禍いをもたらすため行ってはならない行為」とする。

 パンドラの箱とは、その箱の中にあらゆる災いが仕舞い込んである。また、贈り物でありながら決して開けてはならないという不思議な警告つきの代物だ。しかし、浦島太郎も玉手箱を開けたようにパンドラの箱も開けられた。その瞬間に、悲劇、病気、欠乏、妬み、裏切りなどあらゆる災いが世の中に飛び出した。そして最後に希望があった。

 チャレンジすることは、思わぬ結果を招くことがある。人がもつ好奇心はパンドラの箱を開けざるを得ない。人はやはりどこかで変化に興味を抱く。また、何もしないことは、ほとんど何の解決もあり得ない。

 気休めに過ぎないかもしれない。
あらゆる災いが飛び出したあと、パンドラの箱の隅っこに希望があった。だから、人は絶望しないで生きることができる。
 ケガした二人は短い期間だったからかえって軽傷にすみ、回復が早いかもしれない。
 僕は、メインの仕事でコンペに参加。何回落ちようと決して絶望はしない。だいたい希望は動きが鈍いのだ。

 だから、なかなか願いは叶えられない(^_^)
posted by トモ兄 at 12:25| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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