2009年11月29日

『泣きながら生きて』の感想


 2006年11月3日、ある三人家族の10年を追ったドキュメンタリー『泣きながら生きて』が全国ネットでテレビ放送された。僕は残念ながら見ていない。『泣きながら生きて』は感銘を受けた慶大生の尽力で、劇場公開される運びとなった。
 僕は、『泣きながら生きて』を劇場公開で初めて見た。

 『泣きながら生きて』は、
 家族愛の物語。遠距離ラブストーリーだと思った。


 1985年、丁尚彪(ていしょうひょう)35歳。多額の借金と上海に愛する妻と娘を残し日本へやってきた。
 丁は文化大革命の中で育った。当時、青年たちは貧しい農民に学べという下放政策があり、農村で肉体労働を通じ思想教育が行われていた。多くの青年たちがそうであったように、丁も辺境の地へ送られ、満足な教育を受けることができなかった。


 丁の目的は、北海道・阿寒町の日本語学校で学び、日本の大学へ進学。彼は人生の再出発を図ろうとした。成功した暁には妻と娘を日本に呼び寄せようとも思っていた。

 ところが…。

 丁は人生の再出発を果たせなかった。しかし、「一流の教育を受ける」という夢を娘へ託そうと決意。彼は借金を返済してからも東京で働き続け、稼いだお金はすべて妻子へ送金した。

 娘の丁琳(ていりん)は、中国屈指の名門校、復旦大学付属高校から、ニューヨーク州立大学に合格。見事に父の期待に応えた。しかし、丁は東京に残り娘の学費を稼いだ。妻は夫のいない上海の家を守った。そして丁琳はお医者さんになる夢を携えニューヨークへ渡った。つまり、この決断は、三人家族のそれぞれが三つの都市に住むことを意味した。

 丁と妻は文化大革命の中で育ち、辺境の地で知り合い結婚し上海へ戻る。丁琳は一人っ子政策の時代に生まれた。三人家族は時代に翻弄されるが、その時代を恨み運命を嘆くよりも、未来を信じ希望を捨てないで立ち向かった。

 丁は丁琳が産婦人科の医師になることが分かり、自分の役割が終わったことを悟る。丁は日本を発つことを決意。最後に第二の故郷である北海道・阿寒町の日本語学校を訪ねた。

 ここで丁は、

 「15年前日本へ来た時、
 人生は哀しいものだと思った。
 人間は弱いものだと思った。
 でも、人生は捨てたもんじゃない」と静かに笑った。

 彼は、再出発が果たせなかったことを恨むどころか
 感謝の念を抱いた。第二の故郷だと思った。
 もしかすると、ここにもっとも感動したかもしれない。

 『泣きながら生きて』で、
 ある人の壮絶な人生を仮体験した。
 思わず何度か涙が私の頬をつたわった。
 しかし、丁の涙は感動の涙でない。
 おそらく、家族への強い思いと
 大変な努力を伴った、血が滲む汗のような涙を流した。

 だから、

 笑うための準備なのかもしれない。
 幸せになることは、夢を叶えることは、
 こんなにも大変なことなのか。
 とても重いドキュメンタリーだった。


 丁さんに親近感を覚えた。

 映画の中で、成田空港のシーンがあった。
娘が短期語学留学先のスペインから帰国したとき
成田空港へ迎えに行ったことを思い出した。
そして何よりも、丁さんは僕と同じぐらいの歳だ。
この人のことは、忘れないだろう。

 最後に、中村俊喜さんに感謝します。
あなたが言うように、私たちが確乎として生きるとき
この物語は、勇気づけてくれます。
また、生きるエネルギーも与えてくれました。

 感謝
posted by トモ兄 at 02:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 文化・芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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