2012年03月16日

花見と桜餅(花より団子)_1


 徳川吉宗が、江戸の各地に桜を植えさせたことはよく知られています。なぜなのでしょうか。また、桜餅との関係は。

 実は、吉宗の時代は「火事と喧嘩は江戸の華」と言うほど、火事の絶えない世の中だようです。今風にいうと、江戸の人口密度は世界最大と言われていますが、公園のような場所はなかったようです。そんな環境の中で、庶民は上下関係の厳しい身分制度や住む場所も衣服にも規制を受けていました。加えて物価の高さや経済面でも困窮。つまり、ストレス過多の都市生活を強いられていました。

 たとえば、住環境は?
18世紀初頭の江戸の人口は人口100万を超え、しかも人口の半分を武士が占め、土地の70%近くを屋敷などに使用。庶民は、寺院や 神社などを除いた約16%の土地に密集して住んでいたようです。想像してみると容易に分かるのですが、人口密度の高い都市には、開放感や憩いの場所が必要です。

 そこで、考えられたのが公園政策でした。
吉宗は、現在の公園に類する場所を作り始め桜を植えさせた。その代表的な場所が、隅田川の桜堤(向島)、飛鳥山(王子)、御殿山(品川)でした。吉宗は、それらの桜の名所に飲食店まで用意させ、花見を奨励します。

 吉宗の行った公園政策は、治安の悪さや放火の頻発を抑えるために、庶民に花見という娯楽を提供することによって、憂さ晴らしをさせ人の心を安定させようとしました。また、公園は、頻発する火事による延焼を防止しようという狙いもありました。

 庶民たちは?
 花見は身分や性別の区別なく参加できる大変開放感のある行事だったようです。身分の高い人や裕福な人たちは、自分たちの場所を花見幕で囲んで楽しみました。庶民は、バスも電車もない時代で1日がかりの遠出。女・子どもにとっては町の外に出かける数少ない機会でもありました。
 飛鳥山や墨田堤などでは、飲み食い自由で、派手な遊びや振る舞いも許され、お店で桜餅や団子を買っては食べ、満開の桜の下、飲めや歌えの大騒ぎ。テレビ番組に影響を受けているのでしょうか、ふと横を見ると酒を飲み交わす暴れ将軍がいたりして。花見の楽しさは、今とは比べものにならなかったようです。

 貴族の雅なお花見文化が
「花より団子」に変わったのは、江戸時代。
 あっそう!ノープロブレム!

 桜餅につづく

posted by トモ兄 at 13:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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