2014年06月12日

やっぱり気になる、木下闇とその変化


 とにかく仕事が混み合っている。だからそう思うのかもしれないが、暮らしの中の木下闇(こしたやみ)。

 例えば、真ん中に木下闇があるとする。手前側は、とても騒がしい今の状況がある。そして隣り合わせに木下闇。ここは一瞬、喧騒はなくなりしかも薄暗くヒンヤリとする。また、冷静になり立ち止まって考えられる。ただし、長く留まることは考えものだ。その向こう側が、本来の活動の場所なのだ。
 
 木下闇は上手くすると変換器になる。つまり、欲する私がいて、欲した自分がいる。だから、木下闇は欲することを変換し、戻るのではなく通り過ぎることになる。

 また身体で考えてみると、越した病み(こしたやみ)。木下闇の本来の意味でないが、想像してしまう。つまり(闇)は(病み)なのだ。だから、用が済めば長居は無用だ。用とは、疲れや未病の状態を回復させたい気分である。物は考えようだ。病は悪い部分があるから発症するが、回復させるための信号として病がある。つまり、健康を欲する私が、健康を欲した私に変換する。

 考え方の大前提は、人は意図的動物であること。
 その意図が上手く変換できれば、成果物が与えられる。
 しかし、これがなかなか上手くいかないのだ。

2014年6月12日
俳句読本で紹介された俳句
季題・木下闇
(こしたやみ/夏の木々が茂り薄暗い様子をいう)

街騒に隣り合わせの木下闇 多賀たか子

もし木下闇を変換器だとすると、何かを欲し変化する。
もしかして、木下闇はその悩みそのもののような…
もしかして木下闇って、あの最も魅力的で力が発揮できる
混沌のこと

 独り言。

ラベル:独り言 混沌
posted by トモ兄 at 23:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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