2014年07月23日

フィオナ・タンを観た_3


<ドキュメンタリー>『興味深い時代を生きますように』を観た。

 さて、フィオナ・タンのまなざしは視点に他ならない。つまり何に着目し焦点をあてたか。また、どんな視座で。彼女は異邦人という言葉をよく使うらしく、ディアスポラとして生きていて、違和感を覚えている。そして、視野はどの範囲を意識して観るかだ。

 フィオナ・タンは、故郷を離れてディアスポラとして生きる華僑のアイデンティティを掘り下げていく。さまざまな地域に分散した親類を訪ねインタビューする。

 印象的だったのは、実の姉と兄のインタビューだった。
姉は、「あなたのお父さんはどこの国の人」とよく尋ねられたそうだ。そこがミステリアスで魅力的でだと言った。ところが兄は特段の想いはないと言う。
 
 フィオナ・タンは、ルーツを求め中国に来た。その国に馴染むためだろうか、髪を切り黒く染めた。その時の美容院での会話。あなたは中国人には似てない。「あなたは中国人より鼻が高いわ」と言われる。僕にも彼女は東洋人に見えない。

 フィオナ・タンはついに中国で、タンの祖先の村を発見する。とうとう話しは佳境に入る。
 その村の住人は皆、同じ姓を名乗るが、その地(血)を故郷と考えることが出来ないことを悟った。

 この旅で感じたことは、

 個人の歴史と政治的な歴史、移民の動きと文化的な背景 
 が、アイデンティティ観を左右するかを描き出す。
 「固有の文化」という神話は、絶えないのかもしれないが、
 それは避けがたく変容し、時の移り変わりのなかで、
 放棄されていくものだ。

 『興味深い時代を生きますように』は、タン家の歴史を辿る自伝的な作品であるが、この旅で、フィオナ・タンは答えを得た。

 僕はこの作品を観ていて、しかもその最中にコミュニケーションを取り始めていた。問われていた。
 僕が45歳の頃、生みの親と実の姉と兄に初めて会った。その時に、同様のことを感じたことを思い出していた。ただし、同じ血が流れていることは確認した。
 とても気になっていた木下闇は、絶えないのかもしれないが、それは避けがたく変容し、時の移り変わりのなかで、放棄されていく。ある男と語ったことは、しかしこの余計なスパイラルは僕らの代で終わりにしよう。(意味不明)

 お互いに、『興味深い時代を生きますように』
posted by トモ兄 at 21:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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