2015年03月15日

判断に苦しむこと


 最近起きるとからだが痛いので、グルコサミンのトライアルセットを購入し試している。もし痛みが早急になくなればそのまま継続しようと思っていた。また、購入するとポイントが高いのも魅力的だった。

 さて、それで何か身体に変化が起きたのか。卓球の試合をしてから15日たった。身体は自然治癒だと思うがまだ若干痛い。この健康薬品のサイトを覗くと、明確にどこに効くとは書いていない。書いてあることは効き目がありそうな成分と、健康そうなイメージだけだ。継続するのは止めようかな。侮れないがプラシーボ効果かなと思ったりもする。継続するかは、判断に苦しむ。

 それから、無謀な人たちがこのサイトにアクセスしている。ほんとのことは分からないが、11名がそれぞれ100ページにアクセスした。たぶん読んでいないよね。8時の時点で1,000アクセスを超えた。しかも1時間で。年に何回かこんな現象が起きる。どんな人たちだろう、判断に苦しむ。

 そしてもう一つは、「仮説の検証」だ。
教わった、構想学では「予測検証」に興味を示さない。また、「デザインへのまなざし − 豊かに生きるための思考術」では「仮説の検証」のプロセスの一部になっている。

 構想学ではまだ初まってもいないプロジェクトで、オーナーに目的の達成や獲得の確約を約束する事はない。構想はゴールでなく、出発点で実効可能な考え方で好ましい未来図ということになる。そして必ず起きる問題で、必ず達成できるかの「予測(未来を)検証」は興味がない。
 「デザインへのまなざし − 豊かに生きるための思考術」では、5つのプロセスがスパイラル状(「仮説の検証」が含まれている)に繰り返し精度を高める。
 自分中で、「仮説の検証」と「予測検証」がごちゃごちゃになっていた。

 極論だが、原子力発電所の安全性の「仮説の検証」「予測検証」はなされたのか。安全神話を作り上げた人たちは、事故がないことを前提にその後のことは考えていなかった。建物には必ず寿命があるが、廃炉は執行猶予つきだったようだ。また、原子力を人間がコントロールする能力は難しい。

 つまり、どっちも難しい。こんな極論の判断をすることはないが、いずれにしても「仮説の検証」「予測検証」は判断に苦しむ。

 昨日、2案件の制作予定だったが1案件しかできなかった。これからもう1案件を制作する。まずはカタチにしよう。アイディアを視覚化しプロトタイプ(ラフ)つくろう。そうしないとそのアイディアは揉まれることがない「仮説の検証」?

 いまからつくる。


posted by トモ兄 at 15:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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