2015年04月14日
今日の俳句読本 春眠
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春眠を孫にふんずけられており 小沢昭一
季題・春眠(春眠の季語は下記の詩から生まれたと
いわれています)
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発行人:西国山人
発行所:「まぐまぐ!」http://www.mag2.com/
今日の句想/旬感
にこっと 微笑でしまう 面白い
ほんとは 迷惑だったりするが
ほんとは そんなことない
ほんとは どっちだろう
だから 微笑でしまう
初めてでないかな
俳句で にこっと微笑んだことは
あぁ 感謝
「春暁」
春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少
春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ
孟浩然(もうこうねん/中国唐時代の詩人)
後ろの本棚で2冊をポイと取り取り出して、春眠で俳句を調べてみた。ついでではもったいないが、拾い読みもした。
『俳句への道』 高浜虚子著
赤いマジックが引いてあったところ
俳句は客観写生に始まり、中頃は主観との交流が色々あって、それからまた終(しま)いには客観写生に戻るという順序を履むのである。
『俳句はかく解しかく味う』 高浜虚子著
春眠の俳句を探したがなくて、この句の解釈を読んだ
ゆ く 春 や あ ま り に 短 き 返 り 事 水 巴
行春というのは春の末のことで、春を生物に喩え、その春がもう行ってしまうこと。その残された僅かな時間の中に様々な感情が浮かぶ。
短き返り事とは、その春の終わりの頃にある人に用事があって手紙を出した。どんな用事だったのだろうか。おそらく、つまらない用事でなく、文芸に関することとか、もしくは多少艶味を含んだ情事に関することか。
だから、手紙には十分に意を尽くし情を籠めて長い文句を書いた。ところが、予期していことに反してあまりにも短い返事だった。
この句のうちには、春の暮れゆく怨みの上に
返事のあまりにも短かった怨む意が含まれている。
達人は、この17文の世界をこん風に解釈した。
俳句を詠む人も素晴らしいが、解釈する人も素晴らしい。
僕なりにまとめたが、俳句はこんな風に味うものか。
巡る巡る春の暮れであっても、切ないものだ。
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