2015年11月23日

あぁ、暇だ どうしよう


 入院前後、そして今も自覚症状がまったくないが、内視鏡検査で実物を見た以来、さまざまなことに制限を掛け気を付けている。

 卓球練習は年内中止。11月まではアルコールも飲まない。だから、卓球の試合や合宿、東京での同窓会や長崎での同窓会も欠席することにした。
 
 連休は年内最後らしいが、ただただ時間が静かに流れていく。
 
 暇な時間が沢山ある。さて何しよう。

 一昨日は、初めてまじまじとPinterestというアィデア収集サイトを覗いた。広告プロダクションにいたころ、打ち合わせルームには書棚があり、様々な広告類の書籍や写真集があった。また、歩いてすぐのところに確か明裕図書館という広告専門の図書館もあった。優れた広告物を見ると、なぜか美術書を見たように落ちついた。長時間見ても飽きなかった。
 一昨日は半日、Pinterestというサイトを覗いた。連休なのでイメージ的にはサイトに半日滞在したような気持ちになったが、一歩も動いていない。

 そして昨日はいつものように4時起床。何もやることはないが、こういうときにこそマイブームが役立つ。Podcastを見ることにした。

 見たのは、PodcastでFM Festival 未来授業。
 ターゲットは、大学生を中心とした若い世代で、10年後の日本のをイメージして、その未来の可能性を探る番組。若い世代に何をすべきか問いかける。様々な業界のトップスピーカーが講師として未来授業を担当する。
 僕は全くのターゲット外だが面白かった。

 現在は思想的な区分でポスト構造主義と呼ばれているらしく、必然的につぎなるものに興味があった。なのでたまたまだと思うが引っかかった。
 「システム依存からの脱却」宮台真治Vol.1 2. 3.を聴くことにした。
 宮台真治氏の主張は、現状のシステム依存から脱却し、共同体自治に向かわなければ、論理的に将来性はない。その6つ理由を述べている。

 その中で、入れ替え可能か不可能かの価値基準が面白かった。男女の関係においての喩え話は分かりやすい。
 男女間で、可愛いとか格好いい、優しいとか頭いいとか金持ちであることは、アメニティとコンビニエンスに価値がある。ところが、現状よりももっと優れた価値を求めることができる。つまり、その価値は入れ替えが可能であること。さて、貴方の彼女彼氏、夫婦は入れ替え可能ですか。つまりそこには、入れ替え不可能な絆という価値感が存在します。

 この喩えを地方都市で考えると、現状が別の風景に見えてくる。
それぞれの街には歴史があり人々の生活が調和していた。ところが、アメニティとコンビニエンスと言う入れ替え可能な価値観は、余計な劣等感や競争環境を生み、地元らしさがなくなり、快適で便利という金太郎飴的な駅前商店街をつくった。その街の歴史を軽視し、入れ替え可能な街につくり替えた。また、街が廃れ始める問題が起こった場合は、もっと快適で便利という切り口で考えてしまう。駅前シャッター商店街はよく聞く話しだ。
 環境倫理学の考え方では、人間のニーズに応えてはならないと言う考え方があるらしい。どうすれば土地に合った幸せな暮らしができるのか。主体は人でなく場所に置くことだそうだ。
  
 例えば、とある地方に旅行する。東京と全く同じように数分間隔でコンビニがあったとする。初めての土地でもとても便利で快適で困らない。しかし、小京都という言い方はあるが、小東京という旅行の目的はない。つまり、その土地の成り立ちと人々の暮らしぶりには興味あるが、東京の人が小さな東京には興味ない。
 
 人間のニーズの便利や快適に応えないとは、その土地の歴史的沿革で発展し空間と人とのつながりが生物的に繋がったかを考えることで、快適と便利では土地を開発しないこと。場所を生き物としての歴史を参照し、人との関係において自然とでてきた開発は進める。ということだそうです。

 この考え方は、入れ替え可能か不可能かで評価できますが、僕にとって強烈な考え方で眼が眩みます。
 現状の巨大なシステム依存を脱却し、共同体自治を進めることは
 ポスト構造主義の次なるパラダイムシフトでしょうか。
posted by トモ兄 at 12:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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