2016年01月05日

どうして富士山が好きなのだろう ひとり雑談


 そういえば、富士山を見ていると思いだした。

富士山2.jpg


5〜6年前、富士塚に興味を持ち調べたことがあった。足立区にはいくつかの富士塚があって、そのひとつを3年前に撮影した。
 
富士塚01.jpg

富士塚02.jpg

富士塚03.jpg


 富士塚は、富士信仰に基づき富士山を模し造営された人工の山や塚。富士山の溶岩を積み上げ、頂上には浅間神社を祀る。昔はそこに登れば富士山が見えたそうだ。

 現在の神社は家やビルに囲まれ富士山は見えないのでは。だから、舎人山の山頂に富士塚を造ればと思った(^_^)
 誰かに、バカジャ~ンといわれそうだ。

 写真は千住川田浅間神社富士塚。山頂には天保二年(1831年)銘の石祠が安置されている。
 この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、名を丸藤千住十三夜同行と呼ぶ。講中は、千住五丁目と、千住大川町全域に及び、かつては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。
 と看板にあった。


 講とは、元はお坊さんがお経を唱え修行する場であったようだ。その講が民間に伝わり、今でいうコミュニティとなった。
 たとえば、今風にいうと男子禁制のお経を唱える女子会があった。埼玉県の秩父の友人宅に夫婦で泊まったことがあった。その時に聞いた話は「村八分」だったが、制裁行為で絶交されないための方法として、女子にはお経を唱える男子禁制の講に入講(入会)?する。名目は信心することだったが、実際には厳しい農作業に手を休め、しばし夫からも解放される場であったらしい。

 今でいう「つながり」は、実は昔から重要視されていた。
 
 最近聞いた話しだが、では「村八分」の残りの「2分」は何?えぇそんな問題って答えはあるの。

 いろんな説があるらしいが、「八分」は掟や秩序を破った者に対して、村民が申し合わせた絶交の制裁行為だが、「2分」はそうであっても亡くなった場合、葬式は村民全体で出すらしい。

 富士山の話からどんどん脱線し、葬式で止まった。
 ひとり雑談、「ぼっち」が身についてきた。
 「アップデート」はできたか

posted by トモ兄 at 06:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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