2016年03月27日

昨日の顛末記


 予定では、4時に印刷入稿し、すぐに打ち合わせへ出かける。それから卓球練習。で飲みニケーション、だった。

 ところが、完全に予定が狂ってしまった。

 時間がたっぷりできてしまったので、『カラヴァッジョ』は初めて見るので調べてみた。

 カラヴァッジョ展のホームページを見る。

カラヴァッジョ.jpg


 このサイトの絵を見ると不思議なことを感じる。まず、宗教画や歴史的シーンでもないし、なぜ男性なのか。
 また、《法悦のマグダラのマリア》は世界初公開らしいが、
法悦が気になる、法悦を辞書で引くと、信仰による神聖な喜びや、所謂エクスタシーで快感が最高潮に達し恍惚の状態のこと。
 『カラヴァッジョ』は、どうしてこんな表情で表現したのだろう。
 
 他のサイトを見ると、世界には、マグダラのマリアをテーマにしたものが多く存在する。たとえば、エル・グレコの《悔悛するマグダラのマリア》レオナルド・ダ・ヴィンチ《マグダラのマリア》などなど。タイトルでは、《改悛のマグダラのマリア》、《洞窟のマグダラのマリア》、《我が身を鞭打つマグダラ》《読書するマグダラのマリア》、《書物のあるマグダラのマリア》、があるが、《法悦のマグダラのマリア》は他のものと違うような感じがする。

 キリスト教は詳しくなく、マグダラのマリアって誰ということになる。聖書には様々なマリアが6人ほど出てくるらしいが、マグダラのマリアは、キリストに諭され、悔悛する。そして、キリストの死と復活で大きな役割を果たす聖書のキーパーソンであるらしい。

 絵のテーマも、魔性の女、官能的な美女。そして悔悛、改悛。その後、悔悛のマリアを理想化し知性の女性となる。
 《法悦のマグダラのマリア》は、彼がイタリアのポルト・エルコレで不慮の死を遂げた時、彼の荷物に含まれていた「1枚のマグダラのマリアの絵」がこれであると考えられている。この表情は疲れ切っているように見える。また、娼婦をモデルにして描いたのだろうか。彼は《悔悛のマグダラのマリア》も描いている。どちらの絵も悔悛時を描いているらしいが、マリアを理想化していない。

 別のサイトで調べ始めると、『カラヴァッジョ』の芸術とは、またどんな人生を辿ったのが見えてきた。

 カラヴァッジョは、この時代に現代的な風俗画を描いた画家で、対象物を理想化せずリアルに表現した。そのことがしばしば物議を呼んだらしい。しかし、彼の画法の写実や明暗法は多くの画家たちに熱狂的に支持され継承された。ラ・トゥール、レンブラントの絵を見るとその影響を感じる。
 また、生活面ではまさに問題児で、暴行や殺害や脱獄もあったようで、ローマ司法により死刑判決(見つけ次第、殺してもよい)を受けていたが、有力貴族の元に身を隠したり、支援者の働きでローマ司法の恩赦を受けるためにローマへ向かう。その途中、ポルト・エルコレで死亡(39歳)した。
 その死の2週間後、ローマ教皇の赦免状が発行される。

 再度、カラヴァッジョ展のホームページに戻る。
 左の作品は、《果物籠を持つ少年(果物売り)》1593年頃で、この少年は(マリオ・ ミンニーティかも?)ともいわれていて、カラヴァッジョの友人(愛人?)であり、カラヴァッジョの逃避行にも同行している。当時イタリアでは法律で同性愛を禁止していたが、男性による同性愛は先進的な行為であるという風潮が知識層にあったそうだ。
 右の作品は、《バッカス》1597-98年頃
この作品もそうだが、人物と静物の表現力は素晴らしく、写実的に描かれた果物籠の果物は圧巻の一言に尽きる。また、視点を左に移動するとデキャンタがあり、そこには何かが映り込んでいるらしい。リアルというのか悪戯心か。

 近々《法悦のマグダラのマリア》にご対面となる。楽しみにしたい。それから、例のデキャンタも見てみよう。

 卓球練習も面白かったが、長くなったのでこの辺で。
 
 とにかく、先週は色々な事が盛り沢山だった。
 なかなか、ちょうどよくはいかない。
 多すぎるとやっぱり疲れるものだ。
 
posted by トモ兄 at 17:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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