2016年05月28日

カラヴァッジョとレンブラントの違い


 レギュラーの仕事が金曜日に終了すると、金曜日の夕方から土曜日まではゆっくりできるので、ほんとありがたい。

 夕食はもんじゃでお酒も飲んだ。自分でも信じられないが、家飲みでは、アルコールに極端なほど弱くなりすぐに睡魔が襲ってくる。そういうときは素直に横になる。

 今日の起床は3時、また寝るか。そういえば、カラヴァッジョとレンブラントの《エマオの晩餐》を比較するための参考資料をつくっていたので、まとめようと考えた。
 また、事務仕事も溜まっていた。それから、久しぶりにラフデザインを制作する。日曜日は、銀座でいけばな展を見る。

バロック美術カ-レ《エマオの晩餐》**.jpg

 カラヴァッジョとレンブラントの《エマオの晩餐》を比較では、大雑把だが同時代の日本美術も置いた。

 ヨーロッパと日本の美術をみると、時の権力や宗教と密接な関係がありそうだ。カラヴァッジョとレンブラントは宗教改革のさなかで、プロテスタントに対抗すカトリックの教義の補強や宗教心を喚起するために活用された。

 しかし、レンブラントはカラヴァッジョのドラマチックな外的バロック表現から、精神性を重要視する内的バロック表現に移った。レンブラントはドラマチックな明暗法を習得しつつ、古いとされていたルネサンス表現も取り入れ、荘厳で静謐な普遍性の高い作品を目指した。

 僕にとってカラヴァッジョの《エマオの晩餐》は、イエスキリストの前に鑑賞者用の席が用意してあり、この宗教的な出来事を身近な位置で、驚きをもって目撃者になる。しかし、キリスト教徒でない僕には、なぜイエスキリストがその瞬間に消えてしまうのか理解できない。その復活以来、イエスキリストの死亡は確認されていないのでは。宗教の違いや宗派の違いでも、カラヴァッジョの《エマオの晩餐》は、かなり印象が違ってくるのではと思ったりもする。それにしても、この一瞬を捉えた映画的なシーンは魅力的だ。

 僕にとってレンブラントの《エマオの晩餐》は、ドラマチックな物語のイメージが薄れたが、カラヴァッジョと比べると、思わず沈黙の会話をしてしまう。特筆すべきは、光輪現象が見られ、画面には優しさと神々しさが漂う。
 明暗はややソフトだが温かみもあり省略の効果もある。登場人物の動きもテーブルの食べ物の構図もシンプルに移行した。

 なぜ画家によって、同じ主題でこんなに違いが出るのだろうか。画家の独自性と言ってしまえばそれで話しは終わる。
 僕にとってはすでに限界だが、おそらく時代が進むにつれて、意味の変遷と多様化は進む。カラヴァッジョとレンブラントの間には聖書の解釈の違いもあったのではないか。


バロック美術カ-レ《エマオの晩餐》*-.jpg


posted by トモ兄 at 10:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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