2016年07月13日

昨日、gacco講座無事終了した


 今だからこその江戸美術 Edo Visual Culture As We Really Should Know Itを受講し、Week1〜4の理解度確認クイズと最終課題のレポートを提出し成績は91%。終了条件(60%以上)を満たした。講師は、大妻女子大学比較文化学部 教授 高山 宏先生。

 この講座を受講するきっかけは、生誕300年記念若冲展だった。東京都美術館では2時間も待たされ若干腹が立ったが、作品は素晴らしかった。なので、感想文を書こう思いカタログを読み始めたちょうどその頃、gaccoの講座で今だからこその江戸美術で、第2週:伊藤若冲/円山応挙(マニエリストとしての若冲)を発見した。伊藤若冲とマニエリストってどんな関係があるのだろうか。ということで講座を受講したが、江戸の中後期の美術を、ヨーロッパで出現した表象論とマニエリスム論とザ・ピクチャレスクで吟味していく。おかげさまの初めて経験で、完全に僕の頭は混沌としてしまった。

 最終課題は、18世紀英国最大の文化的発明とされるピクチャレスクについて、その出現の経緯から日本への(ありうべき)影響まで、400字以内でレポートを提出。この課題の意図は、江戸美術なので日本への(ありうべき)影響に文字数をもっとさくべきだったが、ピクチャレスクの生い立ちが余りにも面白かった。なので、キーワードである、長崎派の土井有隣や横浜の横浜絵は簡単に、葛飾北斎の画業は省略し、(ありうべき)影響は、少し強引だったが単なる風景画でなく西洋の文化を伝える装置としても発展したと結んだ。

以下が400文字レポートです。

ピクチャレスクとは風景を主題とする絵画で、自然に対する美意識は17世紀以降のイギリスで起きた。当初は、イングランドとスコットランドの自然環境などの違いで芽生えたが、イギリスはルネサンスを未経験で、特にイタリアに根強いコンプレックスを抱き、長い戦争の経験でフランス文化に嫌悪感が生まれた。この二つの倒錯した感情がピクチャレスクという不思議な美意識をつくりだした。
特徴的なことは 、左右の不均衡な構成の絵画に刺激され、クロード・グラスという凸面鏡で風景を写生した。またカタストロフィなサブライムの二極に別れた絵画を「理想の風景」とした。
江戸中後期の美術を新たな視点のピクチャレスクで捉えると、開港していた長崎では長崎派と呼ばれる土井有隣や、横浜では横浜絵がある。鎖国時代にもピクチャレスクは輸入されていて、日本独自の浮世絵や錦絵と融合し、単純な風景画としてではなく西洋の文化を伝える装置としても発展した。(399文字)

 僕の中ではまだ混沌としている。
 さて、どうしよう。
 先ずは寝よう。
 
posted by トモ兄 at 02:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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