2016年08月07日

gacco 俳句−十七字の世界−受講


俳句−十七字の世界−の受講を始めた。
Week1:俳句とは何か
学習目標
日本には「詩」の総称が存在しなかった理由を言えるようにする。

総称が存在しなかったことに、驚いてしまった。
といことで、その理由をまとめてみた。

 日本には「詩」の総称(種類)が存在しなかったとは不思議なことだ。言葉を用いる様々な活動で「文学」という種類があり、俳句は明らかに西洋でいう「詩」poetryに近いが、これまで和歌(短歌)・連歌・俳諧連歌(連句)・俳句・川柳・漢詩・詩(新体詩)をひっくるめた呼び名で、西洋でいう「詩」にあたる総称(種類)がなかった。

 ところが、世界でも総称(種類)がなく部類が多く存在することがあります。

 アラビア語には、さまざまな「ラクダ」の名前や仕事の性質や成長の段階によって、異なる部類の呼び名はあるが、「ラクダ」という全体の総称(種類)はないといいます。
 また、エスキモー系民族のイヌイット文化圏では、様々な「雪」の形態を指す言葉はあっても、「雪」という総称(種類)がないということです。

 なぜこのようなことが起きたかというと、生活に密着し身近で馴染み深いことは、具体的な違いの方がより重要で、全体をまとめて呼ぶ総称(種類)が、必要でなかったためだと考えられています。

 つまり、日本の俳句や和歌などは、上流貴族や知識階級ばかりでなく、多くの日本人にとって、生活に密着した身近な存在だったことを示しているのではないでしょうか。いわば、アラブの人々にとっての「ラクダ」の部類にひとしい。

 また、総称の重要性は明らかです。
 総称がないと比較することがなく、全体に共通するのを見いだせなくなったり、知識や理解を深めることができなくなることです。

 たとえば、「音楽」という総称(種類)があるからこそ、その部類であるクラシックやジャズやポップスなどをたがいに比較したり、それら全体に共通するものを見出したりしながら、知識や理解を深めることができます。

 日本には「詩」という総称(種類)がないから、だれでもが俳句は俳句、短歌は短歌、川柳は川柳といった風にどれもまったく別々の「道」、あるいは「楽しみ」と考え、俳句をやる人は俳句しか見えないし、短歌をやる人は短歌しか見ななくなります。それらを互いに見比べて、どこがどう違うとかどう似ているか。
 またそれらをひっくるめて、言葉を使う人間の活動の一部門として、それらはどんな意味をもっているかといった問題をあまり考えることがありませんでした。

 日本には「詩」の総称が存在しなかった理由を把握し、俳句を同じ「詩」という土俵に乗せ比較対照することは、俳句の不思議さと深さ面白さをあらためて考えることです。
posted by トモ兄 at 03:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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