2017年04月13日

忙しくなりそうなのに、興味があっちこっちに

 最近、フリーランスになってプライベートと仕事の時間の区別することを止めた。理由は会社員時代の時に比べると、プライベートも仕事の時間もそんなに自分自身が違う人格でないことに気づいた。またそれでも許される。時間も実際には明確に区別できない。約束の時間や制限時間を守れば、リソースとしての時間は自由に使える。

 気持ちを切り替えると、とても楽になってきた。スケジュール表は、自分自身の気持ちの変化で、何度も作り直している。気持ちが切り替わる前は、単純にブラック個人事務所で、就業(修行)時間はほとんど悪魔の合宿常態で、残業時間は異常に多く、その原因の1つの待ち時間も多い。ブラック個人事務所の最大のストレスはこの待ち時間の過ごし方で、現在は自由時間として捉え楽しんでいたりもしている。しかし、だからといって就業(修行)時間はほとんど変わっていない。つまり気分が変わっただけだ。
 今のスケジュール表は、自分自身のライフログのようになっていて、まずは朝の習慣で、デジタルの血圧計と体組成計で血圧や脈拍、体重やBMや体脂肪を測りメモする。グラフにもなったりしている。腕時計の活動量計はスマホにつながり、PCにかじりついていると振動で知らせる。ベランダでは、目のパチパチ体操とかかとドンを行う。それから全てのプライベートや仕事は、進捗状況とカウントダウンで管理していて、優先順位でその日のスケジュールを決める。ただし、全てが仕事を最優先することはしないが、しっかりと帳尻を合わせる努力はする。

 今週は不定期なレギュラーの仕事が入った。この仕事はいつものように資料を収集・検討してからラフを制作する。また新規の仕事も入り月曜に打ち合わせをする。当然だがいつものレギュラーもしっかりこなす。ちょうどそんなときに、いつものことだが、年度初めと誕生日も重なり、様々な契約や手続きも重なる。卓球の試合もすぐにあり、友人とも連絡を取った。その他にも様々なことが重なっているが、何とかできそうだ。

観櫻火宴.jpg

橘神社青年会のhpより

 そして、偶然だったがみんなのデジブック広場で、長崎県 雲仙市 千々石(ちぢわ)町、観櫻火宴を知った。ここは子供の頃、海水浴に行ったことがありよく覚えている。なぜならば、岸から50メートルほど沖へ泳いで行くと、1つの巨大な岩が砂地からニョキッと突き出していた。それはとても珍しかったからだ。ただし、古い記憶では入り江のような感じがした。地図で確認すると浜辺なので違うかもしれない。また、それから何年か経つと、橘湾の沖合に石油を備蓄するためのタンカーか数隻停泊していた。

 その千々石(ちぢわ)町に、何万の軍勢が押し寄せ戦があったとを初めて知った。千々石町、観櫻火宴とは、島原半島に上陸した龍造寺隆信を迎え撃つ戦いを再現した。千々石大和守と嫡男純員(千々石ミゲル)との別れや、奮戦する家老たちの姿が春の夜を舞台に、史実をもとに勇壮かつ幽玄な歴史絵巻が繰り広げられる。事前に申し込むと観櫻火宴に参加できるようだ。
 また、千々石直員(ちぢわ ののかず)は洗礼を受け千々石ミゲルの洗礼名を与えられ、神学教育を受けた。のちに天正遣欧少年使節に選ばれ、1528年2月2日、長崎港からポルトガルの首都・リスボンへ旅立った。

 この史実は、明治6年に岩倉使節団の岩倉具視が、ベニスにて天正遣欧少年使節の文章を発見し分かった。つまり、約300年もの間、歴史の中に封印されていた。

 また、千々石ミゲルは帰国してから司祭を目指し天草の修練院に入ったが、結局は棄教した。
 千々石ミゲルは、ヨーロッパで学んでいる際に、キリスト教が黒人を奴隷として扱っていたこと。また、異教徒を異端だとして仏像を破壊することもあった。おそらく、「国自体が乗っ取られて、日本人が奴隷のようになる」という危機感を抱くようになったと推測されている。

 同時代の長崎で、拷問による棄教や刑に処せられ殉教を選んだ人たちもいた。
 千々石ミゲルの棄教は、また違ったストーリーがある。
 この理由が、とてもユニークで感心してしまった。

 
posted by トモ兄 at 13:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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