2017年08月10日

『ナガサキノート あの日、人々の足取り』_2

 昨日、黙祷していると急に孫が僕の部屋に入ってきて、ジジ何しているのといった。ちょっと説明すると、5歳の孫も同じよう手を合わせた。

 終わってから、YouTubeを見たいとねだった。いつも見るチャンネルがあり、僕が2台目のMacを立ち上げると、孫はアクセスした。このチャンネルのどこが面白いのかさっぱり分からない。ちょっと強引だが、平和だからこそと思った。

 それから深夜と朝方、『ナガサキノート あの日、人々の足取り』や「ナガサキノート」で、被爆者の証言を読んだ。


ナガサキノート.jpg


 その中で、「私を平和の道具としてお使いください」という発言があった。おそらく、意を決して被爆体験を語りはじめた人たちは、同様の想いがあるのだろう。
 僕にとって、とても重い印象的な言葉だった。

 以前、深夜の討論番組で核攻撃について討論があった。
広島・長崎の原爆投下以来、アメリカは2度の計画があったそうだ。それは、ベトナム戦争と朝鮮戦争だった。しかし、日本の原爆資料館で、原爆投下後の惨劇状況を見た検討メンバーがいて、その計画が実行に移されることはなかった。

 いま、待ったなしのことが起きつつある。
 アメリカと北朝鮮が戦闘状態になったら、
 日本はどうするのだろう。
 日本はどんなときにも、待ったをかけるべきだ。
posted by トモ兄 at 14:29| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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