2018年03月06日

たまたま、青春俳句と長崎展と光画展の記事を発見

 朝のルーティン前、ソファーに座り読売新聞を床に置く。だらしない格好になるが、両太ももに頬杖をつきながら読むと、目を細めることなく老眼にはちょうど良い距離間になる。

 ニュースはネットで収集するようになったので、新聞で見出しは読むが、よほどのことがない限り記事を読まなくなった。たまたまだが、地域版で興味ある記事の見出しを発見したので、内容まで読んでしまった。

 朝の食事とルーティンを済ませてから、今度はネットで検索し調べてみた。

「青春俳句」
 第15回龍谷大学 青春俳句大賞
 中学生部門
 足裏にみずやはらかし立泳ぎ
 文学部部門
 海の青色鉛筆に無いと泣く
 
 この二句は各部門の最優秀賞で、ほんとみずみずしい感性だと思った。しかも、おじさんの感性も刺激してしまい、余計な個人的なことまでを思い出してしまった。

 「長崎展と光画展」
 東京都写真美術館
 写真発祥地の原風景 長崎
 久しぶりに、東京都写真美術館に行こうかなと考え始めている。ところが、長崎つながりだけでは今ひとつ心が動かない?
 そこで、東京都写真美術館サイトをもう少し覗くと、
 「いぬむこいり」という映画が上映されることを知った。

長崎チラシ.jpg いぬチラシ.jpg

 直感でも、この写真展と映画は面白いのか、そうでないのか分からない。また、どちらがついでに鑑賞するのか分からないが、東京都写真美術館へ行くことにした。

 写真展チラシの表面を見ると、僕のブログにアップした写真のことを思い出した。


 まず、この画像は
2008年08月09日
ある晴れた日、鶴の港に悪魔が降りた。_2
に書いたブログの画像で、ミシンケイの中の島が「鼠島」といいます。僕が小学生だった頃、水泳の道場でした。ところが、ブログでも紹介しているのですが、埋め立てが進むにつれて湾内の潮の流が変わり、水泳するためには不適切な水質に変わったため、海の水泳道場は廃止されることになりました。

鼠島.jpg

 
 普段、立ち泳ぎは滅多に聞かれない言葉ですが、聞くとその道場のことを必ず思い出します。
 ここで教えられていたことは、細川藩の古式泳法で、もちろん泳げるようになることです。その中に立ち泳ぎの練習もありました。この立ち泳ぎとは、時間を江戸時代までに遡ります。参勤交代のときに、いくつかの大きな川を渡ります。そのとき、お付きの者はお殿様の神輿を担ぎ立ち泳しながら、安全な場所まで運ぶための泳法でした。
 なので昭和の当時でも、練習はレンガを両手で抱え、足かきだけで長時間立ち泳ぎをさせらました。つまり最もきつい練習でした。しかも、長時間何十人かの足で蹴ることによって海水は攪拌され、海底の冷たい海水が上がってきて、冷たい思いをする、ほんと嫌なおまけ付きでした。
 また、その道場の期間中にお祭りがあって、練習の成果を披露します。実際に人を乗せた神輿を担ぎ立ち泳ぎで海を渡ります。

 足裏にみずやはらかし立泳ぎ

 中学生が詠んだ俳句は、おそらくプールで練習していたのでしょうか。水のなんともいえに柔らかさや優しさを、体全体でなく、足裏に感じたところにユニークさを感じます。

 僕にとって、立ち泳ぎは忌々しい余計な思い出ですが、中学生の感性には脱帽です。もし今度泳ぐ機会があれば、足裏の記憶を焼き直したいものですね。

 また、文学部部門で高校生が詠んだ

 海の青色鉛筆に無いと泣く

 この句は、風景やドラマを感じます。子供か孫か分かりませんが、ギュッと抱きしめたくなりますね。汚れなき子供の無い物ねだりという視点で捉えると、一茶の句を思い出されます。

 あの月をとってくれろと泣く子かな

 とても切ない俳句です。



長崎港.jpg


 写真展チラシ表面の(長崎パノラマ)は、もしかすると、ある晴れた日に載せた画像と同方向を望んだ写真でしょうか。
そうだとすると、長崎パノラマは、おそらくグラバー邸辺りからなのか。僕の画像は、唐八景から撮ったものです。

 もう何年経つだろう、長崎には帰っていない。

posted by トモ兄 at 12:46| 東京 ☁| Comment(0) | 文化・芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。