2019年02月15日

PaPaを偲ぶ 思い出すことは供養になるので

 1月12日東卓5部の団体戦に出場した。その時に、M選手と同リーグになった。この選手は、お子さんが兄弟そろって有名な選手。卓球ファンだったらすぐにピン!とくると思う。
 同チームの若いメンバーは試合の待ち時間に携帯を覗いていたが、老テクの僕は、古い記憶を辿りながら、PaPaのことを思い出していた。

 約30年前に、阿佐ヶ谷オープンに参加した。その時に左ペンドラの強い選手がいた。その選手がM選手だった。何でも、大学生時代、関西の大会ではシングルスで優勝するような強い選手で、実業団ではシチズンの選手だったとか。そんなことを教えてくれたのがPaPa(パソコン通信時代・卓球フォーラムのハンドル名)だった。

 その試合は、PaPaから誘われた。PaPaは試合の前日、僕の家へ夕方迎えに来てくれた。それから、試合会場に近いPaPaの自宅に泊めてもらった。当然だが夜は飲みニケーション。団体の中にいるPaPaと、個人的に付き合うPaPaは違ったイメージだった。翌日、阿佐ヶ谷オープン(団体戦?)に出場した。
 
 PaPaとはパソコン通信時代卓球フォーラムのオフ会で知り合った。そのころほとんどの人が20代で、唯一30代だったのが僕とパパだった。旧文総体育館で練習し、湯島の坂を下り、海ごはんという飲み屋さんで、毎週酒を酌み交わした。

 当時、仕事でストレスの塊のようになっていた。ストレス対処をコーピングというが、情動焦点型と問題解決型があり、いい汗かいて酒を飲んで憂さを晴らした。実は長い目でいうと、情動焦点型コーピングの憂さを晴らす方法は、ストレッサーの問題を解決していないので、いずれ問題解決型コーピングということになる。とにかく、当時はいろんな人と卓球&飲みニケーションを楽しんだ。とてもいい思い出だ。

 昨日、卓球仲間のひとりである、現在、卓球をもっと楽しくをモットーにP4MATCHという卓球統合環境サービス運営中のツカちゃんから、PaPaを偲ぶ会の連絡があり、久しぶりに荒川で練習会&PaPaを偲ぶ会に参加する。

 体の調子が優れないとは聞いていたが、まさかだった。ほんと驚いてしまい、一時放心状態になった。
 それから、いつ会ったのが最後かなと思い出してみた。

 それは、ENDくんが企画した、夏の卓球合宿で清里の清泉寮で現地解散、握手を交わし別れたのが最後だったように思う。
 とても個性的な人だった。面白い男だった。

 PaPa、とても残念だがいずれまたね...
 ご冥福を祈ります。
  
posted by トモ兄 at 18:33| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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