2019年03月27日

怪物(孫)くんたちのパワーに圧倒されるが

 そんなパワーに負けてられない。
 昨日はラフを提出し、夕方は孫たちと外食。
 今日はお昼頃印刷入稿を終え、すぐ裏の公園で遊び写真を撮った。それから、言語論のディスカッションに、「写真と言語」にあえて反論を投稿した。これから、見積もりや請求書の準備をする。そして、また少しだけ怪物(孫)くんたちと遊び、また印刷入稿の準備をする。

 ヘトヘトだが、なんとも言えぬ心地よい疲れ...

 
「言語は私たちをまやかす」の例を、写真とメッセージをモチーフとして、言語によるアンカーリングが、いかに私たちの自由な発想や想像力を制限しているか。という問題提起がありました。よく理解できましたが、あえて反論したいと思います。

人は感覚器官と同時に再生装置を備えた生成器官を持っていると言われています。たとえば写真とメッセージをモチーフすると、感覚器官を通じて写真(記号)や文字からの刺激で、過去の記憶が頭の中で複合、連繋されイメージや言葉が生成される。まるで、スライドのプロジェクターに似ています。ただし、1枚のスライド(記憶)ではなく何枚かが重なって、目からは画像や動画、口からは言葉、手からは文字となって現れるという考えです。

つまり、自由な発想や想像力は、インプット(記憶)の量と刺激(記号)に影響され、豊かで多彩なアウトプットが生成される可能性が高い。あえて反論すると、自由な発想や想像力は、その人の記憶量に依存し最も影響される。だから、メッセージは1つのきっかけにしか過ぎない。

また、絵画展や写真展に行くと、解釈においてもっとも困り迷うのは、写真展でミニマム作品です。たとえばテーマがホリゾント(水平線、地平線)でしかもモノクロ写真。ただただ静寂なホリゾントの世界。その時には、作品と沈黙の会話がはじまるのですが、ちょときっかけになるヒントをくれない。メッセージでもいいから。そんなことを何度思ったことか。

posted by トモ兄 at 16:51| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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