2019年09月20日

急遽予定を変更して、東京藝術大学大学美術館へ

 朝から、クライアントの展示会へ行く準備をしていると、その展示会で使うモノクロチラシの制作依頼があった。当日使用するようなので早急につくった。さて行こうかと思うと、今度は別件の修正依頼が入り、作業を始めた。

 今週は遅い夏休みの予定だったが、そうは問屋が卸さない。そうこうするうちに、12時を回ってしまった。そこで、ビッグサイトの予定だったが、急遽上野に変更した。今の時間を見ると午前1時を回っているので、今日行くことにする。

円山応挙.jpg


   昨日は

「円山応挙から近代京都画壇へ」

円山応挙2.JPG

  東京藝術大学大学美術館
  東京初!円山・四条派のすべて

 だそうだ。

 感想は簡単に。会場へ入ると展示物の順番にしたがって鑑賞する。先ず、円山応挙の写生図巻から始まる。この写生画には目を奪われる。理屈抜きに美しいなと思った。それから、大乗寺の襖絵へとつづく。これまで見てきた、伊藤若冲や狩野永徳に較べると迫力に欠けるように思えた。ところが、その直感は購入した「円山応挙から近代京都画壇へ」公式図録(カタログ)を読み始めると、正しかったようだ。

 狩野派は時の権力・権威を絵で強力にバックアップした。
 伊藤若冲は仏教の教えに帰依していた。
 ところが、円山応挙の絵には権威とか
 仏教や漢文漢詩の素養は必要なく、絵に難しい解釈はない。
 円山応挙の絵には、「みて、感じて、体感させる画」の
 美しい写実画だった。

 また時代背景もあったらしく、江戸時代の中期は新興商人(京都から見れば、地方にルーツをもつ商人のこと。たとえば、呉服商・両替商の三井家など)を中心とした町人層が台頭したが、絵といえば、狩野派や土佐派の様式美だった。ところが、まったく新しい様式で世界をリアルに描き出す応挙芸術に、裕福な町衆たちはまたたく間に魅了された。京都の伝統に縛られない新興商人にとって、応挙の新規なスタイルは受け入れやすかったにちがいない。

 ということらしい。僕も美しい写生画に目を奪われた。だから、権威を画でバックアプするような威圧感も、宗教的な畏敬の念もなかった。

 円山応挙が変えたものは、それまで御用絵師の描く敷居が高かった絵画が、応挙のおかげで、商人や町衆にとって、自分の家で眺めたくなる身近なものとなった。

 なるほどと思った。

 明日は展示会。

ラベル:円山応挙
posted by トモ兄 at 02:55| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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