2019年10月15日

ちょっと脳天気な話 帰崎顛末記_2

 実は2回も同じ道を散歩した。理由は会いたい親戚の子がいたからだ。しかし、そこには住んでいなかった。たまたまだったが、おばあさんが通りがかって話をすると、その親戚の子を知っていることが分かり尋ねると、事情が大雑把だが分かった。
 また僕が生まれ育った家が目と鼻の先にあった。生まれ育った所にはさほど興味がない。しかしここのロケーションは今から考えるとかなり面白い。当時(小学校2〜3年生まで下町の長屋に住んでいた)何の不思議もなく当たり前だった。

オランザ坂.jpg

オランダ坂通り

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東山手洋風住宅群

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教会

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銭湯

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孔子廟


 オランダ坂通りの写真で、右の石垣は誠孝院(じょうこういん)というお寺。ここにはお寺が経営していた保育所があった。また坂の中腹に洋館が見える。ここは東山手洋風住宅群で、今は見学ができて建物を利用した喫茶店や、古い長崎の写真を展示してある。また左へ進むと、左側に長崎教会がありその隣が銭湯。そして、斜向かいが孔子廟となる。僕がいた頃、孔子廟はお世辞にもきれいな建物ではなかった、今のような極彩色ではなく、単にグレーのほこりっぽい古い建物で、誰でも入ることができた。確か裏側は中国人のための学校があったように思った。おそらく華僑の人たちが通うっていたと思う。

 長崎には和華蘭という言葉がある。普通、「よう(和華蘭)分からん」と、いう使い方をする。つまり、様々な文化が(和=日本、華=中国、蘭=オランダ)普通に混じり合った状態のことで、特定できないような状態だろうか。つまり、判断できないようなときに「よう(和華蘭)分からん」という。ただし、本当に困り果てたときには、使わないような気がする。だから、軽い気持ちで、「わい(=あなた)はなんば(何を)いいよっとね(言いたいの)、よう(和華蘭)分からん」ばい。となる。

 ※訂正
 和唐蘭→和華蘭でした。訂正します。

 そんな面白いロケーションが、すぐ近くにもあった。
 初めて、歩いてさらいて知った。
 つづく...


posted by トモ兄 at 18:35| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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