2020年08月29日

やっと落ち着いて...

 『ビリー・リンの永遠の一日』の投稿について

 原稿入稿の待ち時間に、映画感想を短くまとめ投稿。についてまとめようと思ったが途中で止めてしまった。

 見出しは、
物語とイメージづくりの「悲劇的な現実」

 感想は、
久しぶりに戦争映画を見た。戦争の物語やイメージは、戦争の現実を理解できない人たちが、何らかの目的をもって、つくりだすことがよく分かった。兵士たちは、その現実の違和感や還る場所の喪失感も感じながら、またホームグランドである戦場へ戻っていく。
この映画は、今までと違った視点の「悲劇的な現実」を知った。(投稿はここまで)

 とてもシンボリックな
 ショービジネスのオーナーのセリフ

 「同情するよ だが諦めろよビリー・リン
  君の物語は もはや君の物語ではない
  アメリカの物語なんだ」
 
  このセリフは「虚構の構築」といえばそれまでだが...
  僕には、この後が問題だった。
  いい作品だと感じるのは、
  The ENDから、始まる物語があると思っている。
  見る前とその後に、僕にどんな変化が起こるのか。
  それとも、The ENDなのか。


 ちょっと気になっているのは、なぜビリー・リンにとって『永遠の一日』なのか?

 永遠の対概念を変化とすると、そこには有限の時間の流れの中で常に移ろぎ変化する。ところが、永遠であることは、時間を超越して変わらないことで、無限に持続するらしい。つまり「永遠に残る名曲」だったり、「神の存在」だったりす。

 『ビリー・リンの永遠の一日』の一日とは、ビリー・リンが一躍戦争のヒーローに祭り上げられ、凱旋帰国した最終日の出来事。アメリカンフットボールのハーフタイムイベントにゲストとして招かれたが、戦意や国威高揚のための宣伝部隊でもあった。しかし、熱烈な称賛や感謝の言葉と羨望の眼差しに違和感を感じ、無理解さに「悲劇的な現実」を知る。

 ここでいう『永遠の一日』とは何だろう。つまり、時間を超越した不変な概念だ。それが、もし「悲劇的な現実」だとしたら。戦闘のリアルなシーンもハーフタイムイベントでフラッシュバック(明らかにPTSDの症状)で現れる。しかも、彼は退役するチャンスもあったが、戦場へ戻っていく。

 とてもストレスが溜まる映画だったが、「悲劇的な現実」が無限に持続することは、「永遠に残る悲劇的な現実」。
 つまり、病んでいる。
 だから、僕は反戦映画だと捉えることにした。

 
posted by トモ兄 at 12:17| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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