階段の途中で朝刊の見出しと天声人語を見た。そして、部屋で都内の区市町村感染者数(都発表、20日時点)を見た。次ぎに、活動計の睡眠時間も見た。
朝一の会話は、かみさんがおはぎを忙しそうにつくっていたので手短に、「在住区で、都内の区市町村感染者数のワースト4との差はあと3人」。
かみさんは、餅米を3号炊飯器で2回炊き、おはぎをつくり、親しい人と連絡をとり配っている。
かみさんは手を休めることはなかったが、流石にこの話題には耳を傾けた。つまり昨日のように、「朝からいい加減にして、忙しいから『もう、誰もいない砂漠にいって』」とはならなかった。
5位と4位の差が、みるみるうちに詰まった。この勢いはなぜだか分からない。この都発表のデータは2日前なので、今日の時点ですでにワースト4になっているかも。それは明日の朝刊で分かる。
感染状況は、まずは遠い遠い国の話だった。つい最近は新宿や池袋で。僕はほぼ引き籠もりの状態で仕事をしていて、卓球練習の短時間以外は外へ出ないので関係ないと思っている。それがつい最近、一駅先の飲み屋さんで集団感染が発生。それでも関係なかった。ところが直近で、散歩できる範囲で集団感染が発生。遠い遠い出来事だったのが、とうとう身近な状況になってしまった。ただひとこと、これは「やばい」
話は変わるが、都から新型コロナウイルス感染症対応従事者慰労金が支給されるようだ。個人的に都に請求するのではなく、事業者に代理受領委任状を提出し、給料に振り込まれるそうだ。かみさんからそんな話を聞いた。
そうか、だったらご馳走してもらおうかな。
言葉には出なかったが、『もう、誰もいない砂漠にいって』
そんな表情が読み取れた。
冗談だよといっても、時は既に遅し。
今日も仕事や事務作業で忙しいが、午前中はゆっくりする。
まず、今日の新聞2カ所をアドビスキャンというアプリで撮影しPDF→iMacで拡大し読みながら書いている。
天声人語に「無尽(むじん)」という言葉を発見した。
「無尽とは甲州各地でむかしから盛んな懇親会と庶民金融を兼ねた場所」とある。つづけて、親しい仲間が毎月のように同じ店に集い、飲食するだけでなく、その場で出し合う掛け金を基金として積み立て、順に貸し与える。
実は、僕もこの「無尽(むじん)」に誘われたことがあった。しかも飲み屋さんで。内容は全く同じだった。
今日、「無尽」の経緯や歴史的背景も調べてみた。
また、その「無尽」と「無尽蔵」は関係があるのでは?語源由来辞典で調べると、やはり関係があった。仏教用語で、無限の功徳を有することを、尽きることのない蔵にたとえ「無尽蔵」とした。また、それとは別に、飢饉の貧民救済にあたり、しのぎ資金を提供するために金銭を蓄えた寺の金融機関が生まれた。その金融機関を「無尽蔵」と呼ぶようになったらしい。そこから、一般にも広まり、「無尽」と呼ばれる民間の互助組織に発展した。なるほどなるほど。
また長くなった、これで最後
活動計を見ると、睡眠時間は0時間、2時間半、3時間、そして今日は7時間だった。ちょっと大袈裟だが、やっと普通に戻れた。
普通になれることは、いいことだ!
2020年09月22日
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