2008年01月17日

■風神雷神

■50歳の文化・芸術、風神雷神図屏風について、出会いをテーマにもう少し紹介したいと思います。

俵屋宗達は、本阿弥光悦に見いだされた絵師で、京都の人。桃山から江戸初期に活躍した、いわゆる琳派の祖。謎の多い人で、生没年未詳。「国宝 風神雷神図屏風」は代表作で、現在ではよく知られた作品です。
ところが、江戸時代この屏風は知られていなく、この作品を目にした事実を確認できる人物は、ただひとりの絵師です。風神雷神図屏風が描かれて7・80年近く経った江戸中期、確かにこの作品を目にした人物は、亡き宗達を慕った尾形光琳です。
尾形光琳は、[1658〜1716]江戸中期の絵師で、京都の人。初め狩野派を学び、のち光悦や宗達の作風の影響を受けます。光琳は宗達の作品と出会い感動し、作品の秘密に迫るために神々の輪郭線をトレースしながら作品を描き、二つ目の「重要文化財 風神雷神図屏風」ができることになります。時代はさらに下って江戸後期、光琳の風神雷神図屏風は江戸の地にあり、将軍の父親が所有していました。
酒井抱一は、[1761〜1828]江戸後期の絵師で、江戸の人。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟で、光琳の信奉者だった。抱一は、光琳の模作から一世紀ほどを経て、かつての光琳と同じように、光琳を敬慕し模作しました。これが三つ目の「風神雷神図屏風」誕生となります。

驚くことは、後世の絵師の強烈なオマージュにより、宗達を光琳が、光琳を抱一が模作し、琳派芸術は継承と創造がなされたことです。しかも、師へ挑戦し新たな素晴らしい作品が生み出されることになります。

◎宗達の風神・雷神との出会い
宗達という絵師は、様々な古典絵巻、彫像などを閲覧することで独自学習をしたらしい。たとえば、天神縁起(菅原道真の生涯や死後の怨霊伝説、北野天神社の創建とその霊験などを記した絵巻)の流れを引く諸本に描かれた雷神は、示唆的です。また、京都にある蓮華王院、通称三十三間堂の鎌倉時代の彫像で、千手観音像の眷属であった風神・雷神像を閲覧した可能性があると考えられています。宗達は、今まで脇役だった風神雷神を、屏風の大画面に単独で描くことによって、また独自の解釈も加え、風神雷神を主役の座に押し上げ、屏風は大胆で装飾美の範疇を越えた、最高傑作です。

◎光琳は宗達の遺品を博捜し「風神雷神図屏風」を偶然発見
光琳は、宗達と同じく京の絵師で、皇室御用商人もつとめる裕福な呉服商だったのですが、やがて没落します。そのために生計を立てるため、心酔する宗達や光悦の作例を仰いで絵師を業とします。光琳は、当時古画であったが自身の感性に良く馴染む宗達の遺品を探しては、技法などを学習に励んでいて、その過程で、現在の所有者である建仁寺ではなく、その末寺・妙光寺で「風神雷神図屏風」を偶然発見することになります。
光琳は、風神雷神を目の当たりにして、その美の本質に触れるために、じっくりと時間を費やして模倣し、研究・吸収。また、良き理解者であり後継者となります。

◎抱一は光琳の「風神雷神図屏風」と邂逅し、
 江戸で再生を果たす。
抱一は、姫路藩の酒井家の次男として、幕末の江戸に生まれた。若き日の抱一は、武門のたしなみである各種の教養を修め、浮世絵にも筆を染めます。しかし、三十代半ばを過ぎて光琳作品と運命的な出会いをする。それからは、その美の信奉者となり、自らの手でその再生に努めていく。抱一は、宗達や光悦以降の作品を研究に時間を費やしますが、彼の最大の興味は光琳で、様々な手を尽くして光琳の作品を探し、その当時一橋徳川家が所有していた、「風神雷神図屏風」に邂逅する。抱一にとって大きな衝撃を与えたに違いない。
抱一の場合は、さすがに酒井家の主家である十一代将軍の家斉の実夫・一橋治済の所有物を、拝見できただけでも望外の幸せだったに違いない。また、そんな状況の中で、光琳の屏風を小さい紙に縮小模写するのが、やっとだったのではないだろうかと想像されています。

◎師へ挑戦することで、新たな作品が生み出された
「風神雷神図屏風」は、光琳と抱一によって模作されました。ところが精巧な模写とは違い、琳派の継承は、先人の画法研究や学習するためだけでなく、自分の解釈を加え作品を描くことを自己課題としました。また、偉大な先人の信奉者として、頭を垂れるだけでなく、先人に対して創造的な挑戦を挑みました。だから、約一世紀づつの時を空けながら、天才的な絵師である光琳と抱一によって、琳派は継承され、再生が果たされました。
光琳は師へ挑戦し、宗達へのひとつの回答として、あの最高傑作「紅白梅図屏風」(国宝・MOA美術館蔵)を、風神雷神図と同じ二曲一双の金地屏風に描きだしました。
抱一は、光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に、「秋夏草図屏風」(重要文化財・東京国立博物館蔵)を描きました。抱一も二曲一双の屏風にこだわり、そしてその傑作が先人宗達の「風神雷神図屏風」に対する回答でした。

『風神雷神図屏風』は、まさに発見と模作と創造の100年物語です。それから、現在の私も出会うことになります。
無常の喜びです。

図録 国宝風神雷神図屏風を参考にしました。 
編集・発行 財団法人出光美術館

posted by トモ兄 at 02:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック