2008年02月23日

■50歳の日記 ラーメン屋での四方山話

その日は小雨が降っていた。1軒目は卓球仲間と酒を飲み、2軒目はひとりで屋台に寄った。タオルで頭を拭きながら入ると客は誰もいなかった。屋台のオヤジさんは寂しいねと話しかけてきた。そこから話しは始まる。

屋台のオヤジさんとは、通り一辺倒の会話の段階は過ぎ、いろいろな話しをするようになっていた。

何が寂しいの?「人と会話できないのが寂しいね」

そうか、今日は雨だし客が少なかったんだな。
オヤジさんは続けた「4年間ほとんど会話をしなかったことある」
オヤジさんは、工場を経営していたことがあった。メインであるクライアントは、厳しいローコストの現状を乗り切るために、中国に工場を建て勝負にでた。ところが、初めて届いた製品は、検査でほとんどがNGになってしまったらしい。
そのために納品できず、資金繰りにいき詰まり倒産してしまった。オヤジさんに残ったのはそのクライアントからの不渡り手形の山だった。工場で働いているひとに最後の給料を支給してからは、一人で工場を続けた。ちょうどその頃、最愛の奥さんを亡くす。それ以来、注文の電話以外は、まったくといっていいほど会話がなくなってしまった。

そこには、メインクライアントをつくっても、極端なまでの集中は、避けた方がよいというメッセージもあった。

早くラーメンつくってよ。「あいよ」

僕の日常は、引きこもり状態で会話がほとんどない。だから多少は、「わかるよ」
ただし、僕の場合は、会話がいつでもできるよな状態の中で、意図的につくる孤独な時間だった。

昔々、『カモメのジョナサン』が流行っていた頃、アメリカのベストセラーで『ベスト フレンド』という黒表紙の薄い本があった。内容は、精神科医が、患者のもう一人の自分とコミュニケーションをとらせる手助けを行うことによって、自分自身で直していくという治療法の話しだった。

もうひとりの自分とは、誰にでも経験があると思うが、何かを悩んだり決めかねているとき、どこからともなく「止めた方がいいよ、とか、やった方がいいよ」の声が聞こえてくることがある。この声は紛れもなく自分自身の声で、そして、もっとも私を知っている。解決するとその存在は、不思議なことにスッといなくなったり、忘れてしまう。
そのことを話してみようかなと思ったが、苦労を重ねた人生の先輩である。話すのは控えた。

それからオヤジさんは、工場をたたみ、
生活の糧を得るためと、会話を楽しむために屋台を始めた。

僕はたまにしか行かない客であるが、より親しくなった。あったかいラーメンを食べビールを飲みながら、これからどんな風に話しが発展していくのだろう。楽しみである。


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posted by トモ兄 at 13:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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