僕のブログは、検索結果約 535,000件中 1-10件目にある。
他の検索でも一時期、同様に。この名誉ある結果にだいぶ混乱している。
また、ブログ紹介で「自由文…」とあった。
これは、ほんと嬉しかった。勝手気ままな文(いい加減な文)とほぼ同意味かな。だけどもそれでいいよと、誰かにお許しをもらったのかなと勘違いすることにした。
で、その勢いで
加藤徹著『漢文力』と原研哉著『デザインのデザイン』は、3年前ぐらいに、珍しく新刊を購入したのかな。
(本はほとんど、ユーズド価格で購入。こんなことを書くと飯よりも好きと勘違いされると困るので、好きなのは、卓球や美術・演劇・映画鑑賞。その中でも映画が一番だと思っているが、最近まったく見ていない。だから、映画が好きだとはいわないことにしている。)
なぜか感想文?を書きたくなった。
50歳の人たちにとって、これからの人生に役立つと思い書いてみた。というのは真っ赤な嘘で、なぜなのか自問自答してみた。書いてしまった理由がだんだん分かってきた。
簡単明瞭、自分自身のためだった。
曖昧、矛盾、無秩序、不明瞭、不完全、混乱、いい加減、
ドロドロ、ヒトの心、モノの中心、全ての中心、未完成、謎、
この渾沌くんに悩まされ続けている自分がいる。いままでもこれからも。たぶん他の人もそうだ。時代もそうだ。
渾沌くんと、どう付き合っていけばいいのか。七番目の穴を開ける、それとも余計なことはしない方がよいのか。
卓球のヘボコーチをしているとき、どうすれば、試合において得点能力を高めることができるか考えた。そこで、決断力と得点獲得の関係に着目した。ただし、仮説であり根拠は非科学的なヘボコーチの経験。そこからインターネットを探索した。偶然だったが、原子力発電所で、人為的ミスを防ぐために考えられた、ヒューマンエラーの推移モデルを発見した。
アレンジした、判断・コントロール能力の推移モデル
https://50blog.up.seesaa.net/image/A5D4A5AFA5C1A5E3201.jpg
ここで問題なのは、推移モデルのできばえでなく、曖昧さが人の決断力やヒューマンエラーに関わること。人は完全ではないから、エラーをなくすために改善する。重箱の隅を針でつつくように不安材料を明確にし、曖昧さを限りなくなくす。
渾沌くんには、七番目の穴を開けなければならない。なぜなのかの説明は必要ない。
つでにいうと、原子力発電所にも不完全さという渾沌くんが住みついている。
困ったことに、渾沌くんにはもう一つの面がある。加藤徹さんがいうように、未完成という魅力。未完成という完成。このことも大変な矛盾である。
次第に、渾沌くんは人間に思えてきた。矛盾に悩んでいることじたい人間そのものだ。また、神様には死がないと理解している。中央の神である渾沌くんが死んだことは、死の宿命を背負わされた人そのものだ。死とうい言葉を使うと怖いが、
子供が生まれる瞬間、へその緒による生命維持装置を切り瞬間的に死に、肺呼吸に切り替え息始めるそうだ。
終わりは、つぎなる何かがドラマチックに始まる。
最初に、渾沌くんに悩まされ続けていると書いたが、
僕自身も渾沌くんであるから悩みすぎても仕方ない。
また、魅力的な表情があることもわかった。
人は大きな決断と小さな決断を毎日繰り返しているが、
いつも大袈裟にしなくても、そんなに目くじら立てないでも
必要に応じて、どうすればよいか渾沌くんに相談しよう。
「自由文…」勝手気ままな文(いい加減な文)で
最初と較べ終わりでは、何が変わったか。
少なくとも渾沌は他人だと思っていたが、
実は、自分の中にもいた。
いい加減な文章が何よりの証拠なのだ。
また、自問している僕から自答した僕がいる。
ただし、答えは渾沌の中にある。それでも少しだけスッキリした。
