2008年04月15日

■『51%理論』_2

◎笑いを忘れた理由

荻村伊智朗さんは、1952年6月の末に全日本軟式選手権大会に出場し、カットマンを下し初優勝した。その頃の戦術は、カットマンに対してカットで粘り、よく切れた下回転を何本か続ける。そして同じフォームであまり回転のかかってないボールを送り、カットマンに返球を浮かせストレートにスマッシュ。つまり、カットマンに対してはカットに変化をつけ戦っていた。スポンジの特徴は、スピードはでるが、コントロールが非常に難しく、カット打ちには適さないとされていた。

当時、ロングマンで攻撃型選手は、カットマンに対してロング(ドライブ)で粘って、チャンスボールが来たらスマッシュをするという正攻法が一番いいとされていたが、そんな戦術をとっていなかった。しかし…


翌7月、東京代表として参加した都市対抗の試合でカットマンに惜敗。同戦術であったが、本職のカットマンとカットで粘り合い逆転負けする。これでは、バークマン(’37、’39、’48、’50の世界チャンピオン)やリーチ(’49、’51)に勝てない。本職に対して同じ技を使っても限界があることを感じる。そこで、オーソドックスであるが、正攻法の戦術に切りかえることを決心した。

それから、カットに対し連続してドライブをかける、練習を開始した。ひと月後の9月、全日本硬式選手権の予選に出場。第一シードであったが、カットマンとあたり負けてしまう。オールフォアで動きロングで粘るというやり方を本格的に練習し始めてから、1ヶ月しかたっていなかったが、あまりにもの無念さに涙を流したその日、荻村さんは、日記に“笑いを忘れた日”と記した。すべての努力を卓球に集中することを決意する。

また、話しは前後するが、1949年2月、国際卓球連盟は日本の再加盟を承認した。52年2月、第十九回世界卓球選手権ボンベイ大会に初参加し佐藤博治さんが初優勝。その年の6月、元世界チャンピオンのバークマンとリーチの二人が、リベンジマッチだということで日本にやってきて、なんと、彼らは十五戦全勝し帰国した。荻村さんは、最初と最後の試合を後楽園のアイスパレスで観戦した。そこで感じたことは、出場した日本の選手たちは再び、世界選手権で勝つことはもうありえないだろうと思った。やっぱり自分たちがやらなければだめだ「よし、俺がやるぞ!」とあらぬことを口走ったり、日記に記した。

こんな状況の中で、『51%理論』は考案され、死にものぐるいで卓球の練習が始まる。
世界選手権で優勝する2年前の出来事だった。

『51%理論』_3に続く

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ラベル:卓球 51%理論
posted by トモ兄 at 00:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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