2021年12月04日

あっという間の帰崎(5泊6日の旅)_3

今回は、僕にとって初めての5泊6日のひとり旅で、緩い計画を立てた。できるだけ、午前と午後は別の人と会おうと思っていたが、やはり旅すると様々なことがあり、臨機応変に対応した。

1日目、まず、諫早で友人がオーナー兼卓球コーチをしている卓球場を訪ねた。

目代卓球.jpg

それから飲んだ。ただし、飲んだのは僕ひとりで、友人は翌朝から用事があるようだった。それでも彼とじっくり話した。初めて聞いた話が多く、たとえば、彼はシングルスで優勝し全日本選手権に出場。強くなったのは大学でだと聞いていた。ところが、だいぶ昔、福岡大がインカレで団体戦優勝した頃の中心選手だった人が卓球場を開き、そこで練習を重ね強くなった。
また、高校時代の話になり、僕を鍛えてくれた人の話で盛り上がった。いきなりだったがその人に連絡を取り、翌日の夕方、長崎の時津で飲めないだろうかとお願いした。その大先輩と飲むのは始めてだった。酒の力は恐ろしいものだ。酔っ払った勢いで連絡を取った。

2日目の予定はお昼ころ、兄に線香を上げる。それから、義姉と両親の墓へお参りに行く予定だったが、雨が降り中止にした。義姉とは、ほんと久しぶりによく話した。

夕方は大先輩に会いに行き飲んだ。ほんとお会いできてよかった。とても楽しい時間を過ごさせてもらった。

2年前は兄のお見舞いに行ったが、その時はとにかく歩きまくり、写真も撮りまくった。デジタルカメラとiPhoneで600カットもあった。
今回は、語り合うことが多く、80カットしなかった。もう少し写真を撮ればよかったと猛省。しかし、今回は初めての話を聞けたり、腑に落ちたことも多くあった。

3日目の予定は、お昼ころ、琴海にあるおじさんの家を訪ね、今年亡くなったおばさんに線香を上げた。
家から約30メータぐらい下りると、大村湾で砂浜が広がっていた。ここではキスが釣れるそうだ。

夕方からは、銅座で同級生と3人と飲んだ。
1軒目は居酒屋。2軒目はスナックだった。この店のインテリアがとても良く、雰囲気はモノトーンでコンテンポラリーだった。ママさんも美人で,ファッションもインテリアにコーディネートされていた。しかし、話込んだため写真を撮ることをすっかり忘れてしまった。僕の友人はほぼ卓球関係が多いが、この2人はまったく卓球とは関係なく、それだけに初めて聞く話もあり、面白かった。

4日目は、姉と朝から長崎駅前のバスターミナルで待ち合わせし、母の墓を参った。

長崎駅.jpg

墓.jpg

それからすぐに、父の本家である牧島に向かった。お墓は誰かが守っているらしく綺麗だったが、本家はそこに住んでいる人がいないらしく、荒れ放題で空き家になっていた。僕は初めてここに来た。姉は隣近所に聞いていたが、本家の長男は行方不明らしい。

アキ屋.jpg

長崎のバスターミナルに戻り、高速バスに乗って福岡へ。その日は姉の自宅に1泊。義兄に線香を上げた。

5日目は、福岡から名古屋へ新幹線で移動し、兄の家に1泊。
翌朝の新幹線で東京に戻った。

4、5日目は、いつもの定番の話だったが、やっとその話が腑に落ちた。だから、とても有意義な5泊6日の旅となった。

僕の普段は、ほぼ引き籠もり状態で仕事を行っていて会話が少ない。ところが、5泊6日、喋りっぱなしだった。今回は足の筋肉が疲れたことよりも、ほんと口の筋肉が疲れてしまった。しかも長崎の方言を喋りやすくするための、口の筋肉の仕組みが再構築されるのではないかと心配した。

また、デスクトップのPCも6日間見なかった。実は病院に入院した時に、これまで生活視力のピント焦点距離が一定だったが、この距離間が崩れてしまって、退院してから、いつものピント焦点距離に合わせるために3日間ほど掛かった。だから、もしかすると、加えて、口の筋肉にも同様なことが起きるのではと心配したが、取り越し苦労で済んだ。

ファミリーヒストリー
posted by トモ兄 at 23:06| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あっという間の帰崎(5泊6日の旅)_2

船大工町.jpg

カステラの福砂屋を出て、船大工商店街を銅座橋方向へ歩き出した。その途中に面白そうな階段があり、ちょっとした好奇心に駆られ上り始める。まさかだったが、その階段を上るごとに時代を遡った。その終点は「明治維新」の頃を感じさせる、『フルベッキ博士寓居の地*』と『大隈重信公揺籃の地**』の碑があった。
『寓居の地*…一時的に身を寄せること。一時的な仮住まい』
『揺籃の地**…物事が発祥し、初期の発展を遂げた所』

よひら1.jpg

よひら2.jpg

まずはその階段のすぐ右手に、和風ステーキ「よひら」があった。こんな所に老舗が。しかも、とても雰囲気がよく、ネットで調べて見ると遙かに想像を超えていた。今回はスルーするが、次回は必ず寄ってみたい。まるでロケハンのようだ。

菅原神社1.jpg


菅原神社2.jpg

そして、階段を上りきると緩やかな勅使坂があり、また細い階段があって、その先に楠稲荷神社の鳥居が見えた。ここは楠稲荷神社の参道らしく上りきると、そこには平坦な土地になっていて、楠稲荷神社、不動堂、今はお寺はないが大徳寺公園菅原神社(梅香崎神社)若杉稲荷神社がある。


フルベッキ碑.jpg

『フルベッキ博士寓居の地』と『大隈重信公揺籃の地』の碑は菅原神社(梅香崎神社)の境内で、隣り合わせにあり、何か深い関係がありそうだ。

この2人の関係は、致遠館で撮られた「フルベッキ群像写真(フルベッキ写真の真偽)」(上野彦馬撮影)を見ると、一目瞭然。大隈重信のみならず、明治維新のオールスター総出演だ。

謎が多いといわれている群像写真だ、信じられない人もいる。

フルベッキ博士は、彼らに英語や新訳聖書やアメリカ合衆国憲法を指導し、大隈重信ら多くの俊才を育てた。

つまり、明治維新の立役者はフルベッキ博士の指導を仰いだ。

西鋭夫さんの『新説・明治維新』によると、


明治維新の「先生」は、処刑前に鮮血を

吐く想いで書いた『留魂録』を綴った

松陰ではなく、

アジアと欧米の力学を冷静に分析していた

「英国」だ。

英米を知り尽くしていたフルベッキだ。

明治維新は、京都で計画されたのではなく、

ロンドンと香港と長崎と横浜で

立案されていた。


まさか、階段を上がるとフルベッキと出会うとは。
ここは、フルベッキ博士寓居の地で、大隈重信が足繁く通い個人指導を受けた場所のようだ。

あっという間の帰崎は、いろんな人と会い面白かった。
これも、兄が導いてくれたのか。

posted by トモ兄 at 02:00| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする