2021年09月07日

今日のお仕事は終了

久しぶりに、大滝詠一を聴きながら1杯飲んで休む。

それから、今日何度目かの
川谷香蘭の絵のない画集 (まぐまぐ!)
絵のない画集 第1306回 2021年9月5日号も読んでいる。
(現在メルマガは、絵のない画集と俳句読本の2通を読んでいる)

絵のない画集は、転送・コピー、いつでもOKです。
 お友達やご家族にも、勧めていただけると、うれしいです。
ということなので、そのまま載せて貰う。

  さて、今回の《極私的》鑑賞作品は、
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  クロード・モネ 黄昏、ヴェネチア
 ───────────────────────────

  燃える、燃える、
  燃えろ、燃えろ、

無意識につぶやきながら、おれは絵筆に力を込めて、黄色い
絵の具を伸ばし続ける。しかし、理性の力によって、青い空を
全部、塗りつぶすことはしない。せっかく塗った空の色なんだ
から、少しは残しておこう。それにどうせもう少しすれば、陽
は完全に島の向こう側に沈んでしまい、しばらくはあのステン
ドグラスのような青色を見せるだろう。
 だが今は黄色が勝利している。黄色と燃えるようなだいだい
色だ。彼らの勝利はしかし、一瞬のこと。つかの間のことだ。
すぐに闇がやって来る。いまのこの瞬間にも、こちらが立って
いる足元からだんだんと水の面には、空よりも早く闇が訪れて
来ている。

 わたしが初めて『印象・日の出』を展示したのは、30年以
上前のことだが、それを観た評論家がその絵をからかって(「
何が描いてあるかわからない」と言って)その展覧会に展示さ
れていた絵を十把一絡げにして、《印象派》と呼んだので、そ
れ以後、そのメンバーが催す展覧会を我々が毎年、印象派展と
呼んだのである。
 その後、印象派展は数回しか続かなかった(出品作家が印象
派と呼ばれるのを嫌がったのが原因で)が、この名称というか、
ジャンルはアメリカで定評を得、広く世界中で商業的な成功を
もたらした。
 一言でいって、わたしは印象派ではない。ただわたしはこう
いう描き方しかできないのだ。わたしの描きたいものは空気そ
のものである。水もそうなのだ。本来、形のないものが何らか
の理由で形を持たされている。その何らかの理由というものを
追求することがわたしが絵を描く根拠かも知れない。というよ
うな理論をつければ、わたしの絵を解ったような気持ちになる
だろう。

 足元からだんだん闇の中に沈んでいく。お寺の尖塔が落とし
た影が長く長く水の面につながっている。尖塔を細かく区切っ
ているのは、水の面に現れている波に残る陽の光である。燃え
ろ燃えろと言いながら、わたしは消えゆく残照を追いかけるよ
うに塗り続ける。

 ………なんだか血生臭い話が続いたので、そう言う切った張
ったの世界ではないものが欲しくなりました。脂っこい西洋料
理が続くと、おにぎりや茶漬けといった和食が欲しくなるのと
似ているかもしれません。
 と言っても、膨大な西洋美術の世界の中でギリシャ神話の影
響を隠に陽に受けている作品は多いので、まだ完全にギリシャ
神話と離れるわけではありません。

        *       *       *

『クロード・モネ 黄昏、ヴェネチア』
 1908年の作品
 国立ウェールズ美術館(カーディフ、UK)
 縦65.2センチ、横92.4センチ
 
 画像はこちらに:
 https://www.musey.net/2039/2133

 クロード・モネ(Claude Monet)
 1840年生、1926年没

クロード・モネといえば「睡蓮」を思い浮かべるが
《黄昏、ヴェネチア》の作品も素晴らしく
ほんときれいだ。

そろそろ寝よう(-_-)zzZ

posted by トモ兄 at 02:38| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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