2021年09月20日

やることはなかったが..._2

運動学習プロセスにおける「軽微な忘却」には、運動指令を最適化するという予想外の効果があることを理論的に証明され、運動制御するためには、非常に複雑で数学的な計算が必要だが、脳に生得的に備わった「軽微な忘却」機能だけで最適化計算と同等のことが実現できることを示した。と書いた。

この説明は、たとえば人をロボットに喩えると分かりやすい。つまり、運動を制御するフレームワーク(構造)が必要だという世界観がある。

卓球で考えると、先ず目はカメラで相手の返球のコースや軌道などのデータを、脳というプロセッサーに入力し、次ぎに演算し最適な筋肉を動かすモーターに出力。とても単純そうだが全く違ってその指令は様々な体全体の部分に同時に継続的に行うことになる。また、その運動は回転運動を利用するために、関節はその回転運動の支点となり、モーターは各筋肉専用にある。

そこで、実際の運動制御を考えるとフレームワークはないのではないか。そのことは正確に説明できないが、二つのことが分かる。

一つは、仮に骨の周りに10本の筋肉があるとする。ある運動をするためには、10本の筋肉の中で8本目を動かすと、効率的にスピーディーに目的に沿った動きができるとする。だったら自分の意志で8本目の筋肉を動かそう。
これが運動指令の最適化だ。では8本目の筋肉を自分の意志で意図的に動かすことができるか。つまり、運動を制御するために計算通にできる人はいない。だから、フレームワークは使っていないのでは。(冗長性問題)とは、目的の動作を実現しうる筋活動パターンは無数に存在するために、様々な部分との組み合わせが多くある。それだけでなく、関節、神経細胞が関わる。つまり、運動は体の一分だけでなく全体に及び、冗長な自由度をどのように克服するかだ。
僕はある運動をするために、具体的なフレームワークを使って命令した覚えはない。

また、瞬間的に対応する運動は、非常に複雑で数学的な計算(フレームワーク)にかかる時間と、その瞬間的な運動の時間は、計算する時間よりも、瞬間的な運動時間が短いと考えられている。つまり、フレームワークでは運動制御は難しいことになる。

ところが不思議だ、個人差はあっても体は動いている。しかも様々なことに対応しながら継続的に動く。

卓球のヘボコーチをしている。学生時代に卓球練習の経験はなく、たとえば40〜50歳ぐらいから始めたひとが多い。ショートはできない。フォアのフォームはバラバラだ。無駄な動きも多すぎる。おそらく、冗長な自由度に遊ばれている。または制限を掛けられない。

どんなスポーツもそうだと思うが、うんざりするような繰り返しの練習でのフォームづくりは、感覚的に冗長な自由度に制限を掛けることによって、その目的の動きの最適化を行っている。つまり、ひとまず効率的で無駄のないフォームを習得し運動の自動化を求める。あとは応用できると思う。

面白いなと思ったことは、練習でショートのフォームよりもフォアのフォームが早くできると思った。ところが、たぶん無理かなと思っていた、ショートのフォームができるようになった。何故だろうと考えると、おそらく、バック側とフォア側での冗長性はフォア側の方が多いからだと説明ができる。

そして、冗長性問題は進化の問題に続く。
進化することは、ひとまずできあがった効率的で無駄のないフォームを再度見直して、無駄な部分を発見し、新たな動きを付け加えることらしい。そこで新たなパフォーマンスが生まれる。そんなことを繰り返す。またトレンドではないと思うが、打法が全身打法から上半身打法になった。どちらの打法もできた方がいいらしい。

そんなことを考えながら、卓球のヘボコーチを行っている。

コロナ禍で、やっと練習が再開されたが練習時間は圧縮され、ひとり約10分から5分になった。
僕自身も、3週間ぶりのヘボコーチ再開。やっと普段に戻る。

たまたま、記憶を検索し記憶の過程で忘却に刺激された。
なぜ、忘却に、東京大学の研究チームは、脳における軽微な忘却が運動制御指令の最適化に有効であることを理論的に初めて証明した、と発表があったのか。記憶の過程の紹介は特にスポーツの運動制御を説明するためのものではなかった。
とても不思議だった。軽微な忘却が運動制御指令の最適化に有効であることは、まだ理解ができていないが刺激された。

posted by トモ兄 at 07:19| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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