2021年12月04日

あっという間の帰崎(5泊6日の旅)_2

船大工町.jpg

カステラの福砂屋を出て、船大工商店街を銅座橋方向へ歩き出した。その途中に面白そうな階段があり、ちょっとした好奇心に駆られ上り始める。まさかだったが、その階段を上るごとに時代を遡った。その終点は「明治維新」の頃を感じさせる、『フルベッキ博士寓居の地*』と『大隈重信公揺籃の地**』の碑があった。
『寓居の地*…一時的に身を寄せること。一時的な仮住まい』
『揺籃の地**…物事が発祥し、初期の発展を遂げた所』

よひら1.jpg

よひら2.jpg

まずはその階段のすぐ右手に、和風ステーキ「よひら」があった。こんな所に老舗が。しかも、とても雰囲気がよく、ネットで調べて見ると遙かに想像を超えていた。今回はスルーするが、次回は必ず寄ってみたい。まるでロケハンのようだ。

菅原神社1.jpg


菅原神社2.jpg

そして、階段を上りきると緩やかな勅使坂があり、また細い階段があって、その先に楠稲荷神社の鳥居が見えた。ここは楠稲荷神社の参道らしく上りきると、そこには平坦な土地になっていて、楠稲荷神社、不動堂、今はお寺はないが大徳寺公園菅原神社(梅香崎神社)若杉稲荷神社がある。


フルベッキ碑.jpg

『フルベッキ博士寓居の地』と『大隈重信公揺籃の地』の碑は菅原神社(梅香崎神社)の境内で、隣り合わせにあり、何か深い関係がありそうだ。

この2人の関係は、致遠館で撮られた「フルベッキ群像写真(フルベッキ写真の真偽)」(上野彦馬撮影)を見ると、一目瞭然。大隈重信のみならず、明治維新のオールスター総出演だ。

謎が多いといわれている群像写真だ、信じられない人もいる。

フルベッキ博士は、彼らに英語や新訳聖書やアメリカ合衆国憲法を指導し、大隈重信ら多くの俊才を育てた。

つまり、明治維新の立役者はフルベッキ博士の指導を仰いだ。

西鋭夫さんの『新説・明治維新』によると、


明治維新の「先生」は、処刑前に鮮血を

吐く想いで書いた『留魂録』を綴った

松陰ではなく、

アジアと欧米の力学を冷静に分析していた

「英国」だ。

英米を知り尽くしていたフルベッキだ。

明治維新は、京都で計画されたのではなく、

ロンドンと香港と長崎と横浜で

立案されていた。


まさか、階段を上がるとフルベッキと出会うとは。
ここは、フルベッキ博士寓居の地で、大隈重信が足繁く通い個人指導を受けた場所のようだ。

あっという間の帰崎は、いろんな人と会い面白かった。
これも、兄が導いてくれたのか。

posted by トモ兄 at 02:00| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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